評価

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評者もまた、一読者だからだ。 評者もまた、書籍という「商品」を「購買」する、一消費者だからだ。  一読者として、自らの趣味・嗜好や視座/立場に則った鑑賞をし、自らの美意識/美学に従った評価を下す。そしてそれ以上に一消費者として、コストパフォーマンスに鑑みたより厳しい査定基準を採用する。  アマチュア作者らの中で商業前提の基準を行使するのはアンフェアだ、とする向きもあろう。実際これは真説・正論であり、アマチュアリズムはコマーシャリズムと本質的に相容れない(*6)、という事実がこれを補強する。  しかし前述した通り、評者は文芸に明るくない。即ち真の意味でのアマチュア――愛好者――でさえないのだ。愛好者でない以上、作品に対して愛情深い解釈を寄せる、などといったことができよう筈もない。 非愛好者であるにも関わらず作品には接する以上、恣意性に陥る危険性を常に孕みながらも同時に客観性の指標たる数値を常に呈示し得る基準、即ち商業・経済的基準や金銭感覚的基準に依拠したとしても、無理からぬこと、ある意味では自然な選択とはいえまいか。  もっとも、個人的な金銭感覚を安直に一般化するのにはあまりに無理があり、だからこそより一般的たり得る商業・経済的基準が必要となる。この基準は耳学問や机上論によるものでなく、十分な経験に裏打ちされたものでなければならない。何らか特定の業務(*7)を通じた経験であれば、信頼性はより高まる。  もとより評者は「文芸業界」に従事した経験が皆無だ。誠に遺憾ながら、書籍市場における「需給」・「流通」・「トレンド」について、真の現況を知り得るところではなく、推察し得るところすらない(*8)。  それでもなお誰であれ、 一消費者として市場に関与することのできる立場だけは、揺らぐことがないのだ(*9)。 市場の現況を知らずとも、また製品についての知見に乏しくとも、購買行為は可能である。そして、製品についての知見が僅かながらでもあり、更に安定した客観的判断基準を持ち合わせていれば、その購買行為は十分に健全なものと見做せるのである。  故に評者は堂々と、 「書籍化可能性」という指標を掲げ、 厳しく評価・批判を下す。    
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