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「石崎君、あのね」
「結婚でもするんですか?」
石崎君は僅かに唇をあげて微笑む。
こんな時までどうして? そう思わずにはいられない。なんて優しい男なんだろう。
石崎君はわたしから自分のデスクに視線を移し、引き出しを開けると、アタッシュケースに忘れ物と言っていた書類を突っ込んだ。
「百合江、幸せになれよ」
ふいに名前を呼ばれて、涙がこみあげてくる。私はただただ頷くことしかできない。
そんな私を見て、彼はにっこりと微笑んで、会社を後にした。
しばらくすると、明らかに、すべてを覗き見していた麻衣子があらわれた。顔にはやっぱり、したり顔のお面が張り付いている。
「私の言う通りだったでしょ? 池上政基がグズグズするわけないわよ。それにしても石崎はほんとにいい男ね。ここまでいい男だと思わなかったわ」
うん。私もそう思うよ。
「じゃあ、百合江さんも結婚するんですね」
麻衣子の後ろから、さやかちゃんがひょっこりあらわれた。あんたたち、盗み聞きに対して、ちっとも罪悪感がないね。
ふうっ。まあいいか言う手間が省けたと思えば。
「そういうことだから、自社ビルできて落ち着いたら結婚するよ」
私は二人から視線を外して自分のデスクに座る。が、逃すものかと二人が私を取り囲んだ。
「百合江ちゃん、週末話した内容覚えてるわよね」
「はいはい。子づくりは麻衣子が出産してからね」
「百合江さんは、どこで式するんですか?」
非常に言いづらい質問が来た。私が押し黙っていると、麻衣子が更に追い討ちをかける。
「百合江ちゃん、まさか入籍だけしようなんて、考えてないわよね?」
うーん。鋭いなあ。麻衣子は今日も切れ味抜群だわ。
「だって政基は落ち着いたら、すぐにでも結婚したいって言うし、落ち着くまでは仕事が死にたくなるくらい忙しいのは目に見えてるし、その状態で準備とか言われてもね」
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