シグナル

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「お前が遅いと、俺がすごくトイレ長い みたいになるんだからな」 「す、すみません」 肩を縮こまらせて斜め下を見る。先輩の顔 をまだ直視出来ない。距離がただ近いこと が足の位置から分かった。 「…こっち見て」 「う、あ」 「見ろってば」 「わ」 頬を手で挟まれ無理矢理向けされられた。 顔に一気に血が集まる。先輩のメガネの下 の凪いだ黒い瞳が視界に広がった。睫毛が 時折ふるりと揺れる。 「良い加減、慣れなよ」 「ちょ、さくら、い先輩」 慣れないよ。慣れるもんか。ずっと追い かけてきた人が目の前にいて、会うたびに 色んな知らない先輩を見て。毎回毎回更新 されていく先輩の情報に、てんやわんやし ているのに。 先輩はいつも落ち着いていて俺みたいにみ っともなく動揺することはない。これが 思いの差なのか生きた1年の差なのかは わからないけど。 「ほら、充電。今日もお疲れ」 彼の手が俺の頬から離れて、今度は大きく 両手を広げる。 「…はい」 生唾を飲み込んで、ぐっと足を踏み込んだ。 背丈は変わらないのに俺より細い体を恐る 恐る抱きすくめる。その瞬間俺の体から 見えない何かが零れ出す。たぶん、愛だと か優しさだとかそういったものだ。 -
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