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テーブルに置かれたオレンジジュースを両手で挟んでいる茜が吾郎にはまるで初めて見る女のように見えた。
『ねぇ、僕は構わないけど、家に帰りたくないっていうのは、突然すぎるよ。今まで僕らはそういうことはしなかっただろう。』
『うん。わかってる。でも・・・事情が変わったの。』
茜は言いづらそうにして、黙ってしまう。
その沈黙が五郎には苦痛になった。茜はグラスに口をつけない。それが空になったら、さっさと勘定を済まして店を出る。茜はきっと付いてくるだろう。そう考えていた。
だが、五郎が考えるよりもずっと茜は冷静ではなかった。
言いづらいことを抱えていて、それを言いたいが言えずにいるのだ。
そういう時の心に周囲に気をやる余裕なんてないのだ。五郎には茜が厄介な子供に見えた。実際、茜は子供で吾郎は大人だった。
そんな当たり前のことを感じさせない思慮深さが茜にはあった。吾朗の立場を気にし、世間の反応を予測し、秘密裏に付き合いを続ける。そういう賢い女だと吾朗は思っている。
『ここでは、言いづらいんじゃないの。僕だって不意をつかれて何だか落ち着かないな。』吾郎はイライラする気持ちを抑えて茜に優しく語りかけた。
『うん。ごめん。困るよね。こんなとこ誰かに見られたら。めんどくさいもんね。』そういう茜の目に鈍い光が浮かぶ。吾郎はそれを見逃さなかった。
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