満月の夜

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通行人の声を耳にして、ふと我に返る。 目の前でこれでもかと存在感をアピールする月に意識が戻る。 「ねえ、お月様。」 気がつけば、私はただの無機質な石というか岩の塊でしかない月に語りかけていた。 いつもの月に話しかける事なんてしないけど、今日の満月は随分様子が違うから、なんだか不思議な、神秘的な気持ちになっていた。 「もしも生まれ変われるなら・・・、犬にしてくれる?」 私はずっと思い続けていた事を、躊躇いがちに問いかけてみる。 大体前世とか来世があるなんて思ってはいない。あったらいいなとは思うけど、信じてはいない。人は死んだら、意識はその瞬間に消滅して、身体を燃やせば只の灰以外何も存在しなくなると心底思ってる。 私は悲しい程現実的な人間だ。夢がない寂しい人間なのかもしれない。 でも今日みたいに魔力でもありそうな満月を見ていると、なんだかこの願いが叶いそうな気になってくる。いや、というより、つい口にせずにはいられない。 「あの人の飼っている犬になりたいの。」 私はあの犬の可愛い顔と、それを撫でるあの人の暖かい笑みをまた思い浮かべる。あんな優しい微笑みを、惜しみなく私に注いで欲しい。 私は生まれ変わっても、あの人の恋人や妻という存在にはなりたくない。憧れない。だって、きっとまた彼を傷つけるようなことを言ってしまうと思うから・・・。 それに恋人も妻も所詮いつまでたっても他人であることに変わらない。絶対的な関係ではない。別れる可能性がある。 あの人とは、生きている間は関係が切れないような唯一無二な存在になりたい。母親にも憧れるけど、あの人をあの人らしく育てられる自信がない。きっと今のお母さんじゃないと無理だ。 それに私が犬だったら、あの夜のように、もうあの人を泣きそうな程悲しい顔にさせることも、あんなに傷つけることもない。 そして私も、こんなにもあの夜を後悔し続けることもないのだ。 例えあの夜がなくても、私達の関係は今と同じだったろう。大事な事を何一つ言えない、訊けない二人はとっくに破綻してた。 私があの夜を後悔し、消したいと思い続けるのは、人として有り得ないほど最低なことをしたと思うからだ。男女の仲とかそんなの関係ない。
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