策略

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「おにいさん、姉さんのことを頼んでいいよね。僕の代わりにあの部屋で姉さんの面倒を見てやってよ。残してある僕のものは、使うなり捨てるなり好きにしていいから。ベッドもそのままだし……って、おにいさんは嫌かな」  あははと笑うアンソニーを、ジョシュは苦虫を噛み潰したような顔で見下ろした。その瞳には困惑と怒りが見え隠れする。何かを言いたそうにしているが、口は閉ざしたまま、ただ悔しげに顔を歪めるだけである。  ユールベルは混乱したまま首を横に振った。 「私、そんなこと頼んでない……私……」 「このままじゃ、誰も幸せになれないのはわかるよね。いつかは終わらせなきゃいけないことなんだ。だったら、今が一番いいんじゃないかなって。おにいさんの覚悟も聞かせてもらったしね。姉さんの過去をすべて話したけど、それでもずっとそばで支えて守っていくって。絶対に逃げたりしないって。他にもいろいろと話し合って、おにいさんなら信用できると思ったんだ。だから、姉さんは安心して頼ればいいんだよ」  アンソニーは落ち着いた口調で、優しく言い聞かせるように言う。その様子を、サイファはゆったりとソファに座ったまま見守っていた。おそらくアンソニーからすべての話を聞いているのだろう。そのうえで、ここに住まわせてほしいと頼まれたから、了承せざるを得なかったのかもしれない。 「私は、何も知らなかった」  ユールベルは肩を震わせながら嗚咽し、顔を両手で覆った。溢れた涙が手のひらを濡らす。ジョシュは何も言わず、そっとユールベルの肩を抱いた。 「姉さん、幸せになってよ。僕も幸せになるからさ」  アンソニーは目を細めて言った。  それでも、ユールベルはどうすればいいかわからず、頭が混乱したまま、ただ体を震わせてすすり泣き続けた。アンソニーの言うことは理解できるが、思考と感情が追いつかなかった。夢なのか現実なのかもわからなくなってくる。肩に置かれた手のあたたかさだけが、辛うじて自分を現実に引き留めているようだった。 「話が違うとあとで言われるのも何だから、あらかじめ言っておくが」  サイファは不意にそう切り出して、視線を流す。鮮やかな青の瞳がジョシュを捉えた。 「ジョシュ、君をラグランジェ家に迎えることはできない」  ビクリ、と彼の体が小さく震える。
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