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眠りに落ちるような下降線を辿って静かに音は消える。
夢の終わりを告げるように、シャンデリアの灯りが戻った。
気付けば、ショパンは鍵盤から手を離し、ぼんやりと自分の手が舞っていた鍵盤を
見詰めているようだ。
空気の読めない使用人が早々に灯りをつけてしまったことに、
夫人は機嫌を損ねたようだったが、何も言わないところを見ると、
ショパンの演奏はその苛立ちに清い水を注いだらしい。
俺としては、再びショパンが自分と同じ世界に戻ってきたようで、ホッとしていた。
隣のヒラーを見れば、ぽかんと口を開けてなんとも無様だ。
「…今日は…これで許して貰えますか」
黙り込む俺達にいたたまれなくなったのか、指を絡ませて組みながら
ショパンは、はにかんだような笑みを浮かべて呟く。
「え、ええ…相変わらず…貴方のピアノは、素晴らしいわ…」
夫人は何と感想を言ったらよいか分からないようだ。
ショパンの演奏を間近で聴いた者は誰しもこんな風に言い淀んでしまう。
「何度聴いてもうっとりさせられるよ。僕には真似出来ないが…負けていられないね」
だらしなく開けていた口を一度噤んでヒラーが独り言のように漏らす。
ショパンは夫人とヒラーそれぞれに視線を向けて、力なく微笑んだ。
「一番新しいノクターンです…まだ少し手直しはするかもしれませんが」
ショパンはショパンで、何と言うべきか言葉を選んで、結局当たり障りのないことを言いながら椅子から立ち上がる。
止まっていた時間が動き出したようだった。
それをきっかけにするようにヒラーは懐中時計を取り出して時間を見ると、
少し慌てたように席を立った。
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