第三話

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俺の目が、 ほんの数センチ先の塚口さんの睫毛を捉えている。 もう少しだけ、 触れても、いいだろうか 自問自答していると、 不意に腹の辺りに何かが触れた。 驚いて、結局俺はその場から飛び上がるように離れた。 無意識に動かされた塚口さんの手が、 一瞬だけ空中で動きを止めて、ばたんと床に落ちた。 離れた場所から動けずに、バクバク言う心臓のせいで、 俺の口からも荒く息が吐かれる。 暫くそのまま様子を見ていたが、 起きる気配は、無い。 安心した一方で、 先程までの自分の行動が冷静に蘇ってきて、 自分の部屋なのに、小さくうずくまって、頭を掻きむしった。 俺は、 あんたを汚そうとした? 衝動に駆られたんだ、の一言で片づけられる問題じゃない。 激しい自己嫌悪、 今までだってしながら生きてきたけれど、 改めて実感する。 もう、抑えられないかもしれない。 動かない塚口さんをもう一度確認して、 自分自身の、力の入らない足を無理やり上げて、風呂場へ向かった。 俯いたまま、 投げ捨てるように服を脱いで、 思いっきり蛇口をひねる。 まだ温まらない水をそのまま被るけれど、 芯の熱さが一向に冷めない。 それどころか目を瞑るたびに、 塚口さんの顔が、 さっき見た隅々までが、浮かんでくる。 嘘だと言ってくれ。 こんな感情、起こる訳がない。 拳を作って壁に打ち付けるが、 空しい重低音が、一瞬響くだけだ。 鈍い痛みが広がるから、目を開けてみると、 頑丈な俺の手は特別色が変わることもなく。 拳を解いたら、シャワーの水が掌に溜まった。 その手を、ゆっくり己の下半身に這わす。 そういえばここの所目まぐるしく塚口さんに振り回される日々で、 たまに一人だと、呆然と過ごしていた。 風呂場の床に膝立ちになって、 直視はしないけれど、俺自身を扱く。 既に若干反応を示しているあたりが、 余計に、苦しい。 「くそっ…」 吐き捨てるような声は、水音を無視して反響した。 あんたの色んな顔を知ってしまった。 言いそうなセリフだって、簡単に想像がつく。 だから俺はきっと、あんたには言えやしない。 好きだなんて、 言ったらあんたは、酷く幻滅するだろうから。
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