第九話

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一度触れて、直ぐに離れて、 またもう一度触れる。 「えっ」 思わず声が漏れた。 何が起きたのかを問いたかった。 だが次に唇が離れた時には、 俺は塚口さんに強く抱き締められていた。 「うわぁー」 塚口さんも良く判らん言葉を発している。 その瞬間には何も考えられなかったのに、 徐々に心拍数が上がってきた。 太鼓みたいな心臓の音が、バレそうで嫌や。 なのに今俺は喜びに満ち満ちている。 「今の…」 「うわぁ」 「塚口さん、あの、」 「やばい。全然嫌じゃない。」 「はっ」 「むしろこれは、あかん。」 「何言ってんすか」 「めっちゃ、どきどきしてもうてる。」 おいおい、三十路がどきどきって、 それを、俺相手にしてくれてるのんって、 もう俺今こそ泣いても許される場面じゃなかろうか。 「陽太ぁ」 「はい…」 「キスも、初めて?」 塚口さんの言葉に、 俺はさっきほんまにキスをしたんだと、思い知らされる。 「…はい。」 「ごめんな、俺が奪って。」 「い、いえ、俺は…」 恐る恐る、塚口さんの背中に腕をまわしてみる。 気を抜けば震えそうだ。 肩口に額を乗せて、顔が見られないようにして俺は限りなく小さな声で呟く。 「…俺は、…死ぬほど、喜んでます、けど…」 けど、 あんたはそれでいいんですかって。 問いかける間もなく、あんたは顔だけ横に向けて、 俺のこめかみ辺りにまた口づけた。 「まだ信じられへん?」 「そりゃそうっすよ」 「そりゃそうやわなぁ。俺もびっくりやし。」 「だって、…俺、男っすよ?」 「知ってるわ。」 「俺が信じたら、やっぱり塚口さん、後悔するかも」 「せぇへんわ。お前こそ、覚悟せぇよ」 「覚悟て…何を、」 言ってる最中、抱き締められたまま体重をかけられて、 押し倒される格好になった。 俺の身体を跨いで膝立ちに置き上がり、 言葉に不釣り合いな笑顔のまま、俺を見る。 「俺かてなぁ、30超えて初恋同然や。このテンション、どうしてくれる。」 「…えええー…」 偉そうに言うから、可笑しくて笑えてきた。 張り詰めていた気持ちがやっと、緩んだ気がした。 ビビるのも必要なかったようだ。 俺もあんたも、これが初恋。 初めて好きになった相手に、初めて触れていく。
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