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レゲエ王子の憂鬱
犬咬詩戸は現役高校生兼、アイドルである。これは妄想でも自称でも誇張表現でもなく、一般的にも客観的にも事務手続き上もメディアへの出演実績上も、何処をとっても正真正銘アイドルなのだ。
朝、目覚めれば広々とした3LDK高級高層マンションの一室が寝惚けた意識を出迎える。
「あー。今日の予定は……」
寝ぼけ眼で呟く。一人暮らしをしていると、どうしても独り言が増えていけない。
「あぁ、午後から下見があったな。面倒臭ぇ……」
両親とは別居している。中学卒業と同時に芸能プロダクションと契約し、猛反対を続ける両親に嫌気が差して家を飛び出した。結果的にそれは正解だった。犬咬詩戸はその整った容姿と美しい声色と、何よりも鋭利な刃物のように危ういパフォーマンスが一大人気を博し、巷では『レゲエの王子』の二つ名で称賛されている。
朝は苦手だったが、午前10となればいい加減起きなければなるまい。ぼんやりする頭を持ち上げて寝室の床に足を下ろす。
『シド!』
刹那、浮かんできた眼帯少女の顔に、ぶんぶんと頭を振った。昨日散々振り回されたにも関わらず、彼女が嫌悪の対象になっていない自分の思考回路にまず驚いた。それどころか寧ろ、思い出すとふんわり心の紐が緩む気さえする。昨日は彼女のせいでライブに遅刻して、マネージャーにこっぴどく叱られたというのに。
まったく何をやってるんだと自分で呆れてしまう。あの少女がいったい何だというのだ。確かに顔立ちは整っているが、そんなの犬咬詩戸の周囲ならザラというか、もっと言えば大人の魅力を備えたスタイル抜群のグラマラスな美女が次から次へと言い寄って来る環境なのだ。もちろん、言動も正常で眼帯などしていない美女である。
大きく溜め息を吐いて、勢い良く立ち上がる。寝室の扉を開くと、閑散としたリビングがぼやけた意識を出迎える。この部屋の空気にはどうしてか、常に軽い虚無感がつき纏う。どうにかそれを誤魔化そうと買い集めたのが、部屋の隅に揃えてある楽器類、音楽誌、それから壁に幾つも揃えられた額縁の数々。
そして、
「みゃー」
「あぁ、ポール……」
窓辺に寝そべっていた三毛猫がコトリと床に降り立ち、詩戸の足下へ駆け寄った。
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