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タコはイカより足が二本少ない
ラウンジへ続くガラス戸の向こうで、潤んだような朝日が水平線に冴え冴えと光を薙いだ。犬咬詩戸が目を覚ますと、そこはリビングのソファーだった。
「やっべ、寝ちまったじゃまイカ」
独り言ちてからげんなりする。仕事で強要される口癖を寝惚けて呟くなんて、何だかアイドルという肩書きに心臓まで蝕まれた気分になる。これが月野雪乃の言うところの洗脳というやつか。
いまいちど寝室でしっかり寝ておかねばと思い、腰を上げる。明日というよりはもう今日だが、朝から例の一日所長任務をこなさねばならない。
昨晩はぺーネーム:ダークスノウの小説作品を読み始めたら止まらなくなってしまい、そのまま眠りに落ちてしまった。エブリスタの作品など素人が自分の妄想を何の工夫も無しに書き殴った下らない自己満足の産物ばかりだと思っていたのだが、その中にあって、月野雪乃の描くファンタジーは明らかに異彩を放っていた。
まず、ジャンルが何故かエッセイだし。
ぐにっ、と柔らかいものを踏んだ途端に響き渡る怒号と、足元から這い上がる鋭い痛み。
「ってぇな畜生!!」
三毛猫のポールを踏んじびってしまった。やたらめったら引っ掛かれた素足に赤い血液が滲んでいる。ふしゃーと威嚇してからぴょんと何処かへ走り去るポール。一気に意識が覚醒する。
「あぁ、クソ……」
本当に、あの女の事を考えるとろくな事にならない。ならば考えなければ良いのだが、犬咬詩戸には何故かそれができない。
「アホらし……」
傷口を洗うついでに入浴をシャワーで済ませた犬咬詩戸は、バスローブのままぼふんとベッドに倒れ込み、白んだ空にじくじくと神経を苛まれながらも、やがて浅い眠りに落ちていった。
一日所長と言っても、実際に所長権限が委譲されるわけでは無い。午前中にこの暑い中、施設の入り口前で任命式をこなし、集まって来たファン共を軽く威嚇しながらマスコミのカメラを引き連れて各発電室を巡り、従業員訓示を行う。
挨拶や訓示の内容も、事前にマネージャーから厳しい注意があった。今回は既に向こうから妥協を貰っているわけだから、勝手に暴れる事は許さない。
いつもならふざけんなと突っぱねる事も多いのだが、今回、マネージャーの顔は本気の時のそれだった。こうなった彼(女)に逆らうと本当に恐ろしい目に遭う事を犬咬詩戸は学んでいる。主に性的な意味で。
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