2枚の楽譜

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「うん、間違いないわ。そうとわかったら、今から練習よ」  そして、1週間後、千江は、今度は一人で、隣町まで出かけていった。  葉子が目を覚ましたと聞いて、千江は早速、地区予選の追加選考の結果報告もかねて、お見舞いに行った。 「地区予選、何とか通過したよ」 「本当! やったね!」 葉子は、自分の事のように、喜んでくれた。 「でも、私も出場できたらよかったな」 「そうだね」 千江はうなずいた。でも、こればかりは、仕方なかった。千江は、しばらく、窓に映る雪景色を眺めながら、リンゴの皮を、剥いていたが、急に手を止めて、遺書の楽譜が入っている、あの封筒を取り出すと、 「お姉ちゃんの持ってる遺言の楽譜も、これに入れておこうよ。この楽譜を演奏するわけじゃないけど、大会に持っていけば、お姉ちゃんと一緒にいるみたいな気がして、心強いから」 千江が照れた様子でそう言った。葉子は、枕の下から、楽譜を取り出して渡した。 「なくすなよ」 「はいっ! たしかにお預かりしました」 敬礼して、千江はそれを大切そうに、封筒にしまい込んだ。封筒の中にあるのは、父親から自分あての楽譜と、葉子あての楽譜の2冊の楽譜だった。地区予選も通過できなかったので、曲の内容としてはイマイチだけど、一緒に持っていると、おとうさんと、お姉ちゃんがついてくれているみたいで、千江は勇気づけられた。  でも、千江に正直言って、大会で優勝できる自信はほとんどなかった。地区予選で演奏した曲は、今のところ、千江の手持ちの中では、最高の曲のはずだし、慣れているので、流れるような完璧な演奏ができた。でも、審査員の顔はしぶく、「他に該当者がいないので仕方なく合格」という表情であった。それに、地元の新聞では、ロシアの天才少女ピアニスト、スヴェトラーナ・トルストーイが優勝するだろうと騒がれていた。彼女は、英才教育を施され、ありとあらゆるクラシック音楽を弾きこなすそうで、到底、千江の力が及ぶ相手ではなかった。  そんな事ばかり考えながら、病院の帰り道をとぼとぼ歩いていると、不意に鉛色の厚い雲の切れ目から、光が差し込んできた。 「わ、まぶしいよ」 千江は、楽譜の入った封筒を日よけ代わりにして、光をさえぎった。ふと、見上げると、封筒の中身の楽譜が透けて見えた。
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