雨催い

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   ざあざあ、ぴぴぴぴ、ちちち。  音の乱舞。命の、讃歌。  全ての生き物が祝福する眩しい太陽の光が、男の意識を呼び覚ました。 (……生きて……いるのか)  それは酷い落胆を男に刻ませた。昨夜の真っ赤な鮮血が目裏から離れない。またもや生き延びてしまったことを悔やみながら、その場がどこかの確認すらしないまま体を大地に預けていた。  下半身がまだ水に浸かっている感覚はあるものの、それ以外の認識をすること自体がひどく面倒くさい。全身が気怠い。瞼の上にも岩が乗っかっているようだった。右手に握っていた刀は、無意識のうちに鞘へとしまわれ、それだけはしっかりと握りしめているのだから仕様がない。  そんな男の顔に、影がかかった。  反射的に、男の瞼がうっすらと開く。  一番強烈に目へ飛び込んでくる鮮やかな緋色の袴は、この者が神職――つまり巫女の身分であることを明確に示していた。染みひとつない真っ白に染め抜かれた白小袖が太陽に反射して眩しいほどである。白紐に金色の大きな鈴が二つがついている髪紐で、長い黒髪を腰半ばほどで縛ってあった。  桔梗のように華やかで、人目を引く可憐な少女だった。並の男なら魅入ってしまうだろう少女を、しかし男はうすぼんやりとした目で呆然と見上げているだけだった。 「おい」  美しい少女らしからぬ、乱暴な問いかけ。少女はその場にしゃがみ込むと、男の艶やかで長い濡れた髪を無造作に握り、そしてあろうことかそのまま強烈な力で引っ張り上げた。 「お前、月紅だな」  否定をしない代わりに、少女の好きにさせた。少しだけ持ち上がった顔は、無表情で感情が読めない。それに苛立ったかのように、少女は更に男の髪をぐいと持ち上げる。 「どういうことだ。規定違反だぞ」  声は限りなく押し殺していたが、烈火の如き怒りは隠しきれないようだ。その一言で男は全て悟り、柄に押しあてていた左手の力を緩めた。 「違反はしていない……ちゃんと殺した」  まるで明日の天気の話でもしているかのようだ。熱も冷たさもない言葉は、しかし少女の怒りを煽るのに充分だった。 「川岸で殺せなどという命令は出ていない。麻木邸の前でなぜやらなかった!」
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