縁あって

2/12
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
 灰色の廊下。羽虫のたかる蛍光灯が明滅し、沈黙する扉が並ぶ廊下を薄暗く照らしている。その廊下に、かつこつとヒールが叩く音が反響する。階段を上ってきたのはビジネススーツに小柄な体をラッピングされた女性で、まだ若い。ショートボブの髪を揺らし、仕事帰りの疲れきった顔で階段を上りきり左端の扉の前で止まった。ハンドバッグを漁り、鍵を探す。  すると、彼女が鍵を探している後ろで、黒煙のような黒く尾を引く煙が集まり始める。それはやがて球の形へと変化し濃度を増していく。球の黒煙が見下ろすのは、鍵を探す女の後頭部。 『ようやく、わしはこの世へ戻ってきたぞ……』  低く唸るような囁きは彼女には聞こえない。 『志半ばで斃れた無念、今、この現世にてかなえてみせようぞ。まずは……』  煙が、弦を引くように身をしならせる。狙うのは、彼女の小柄な背中。 『現世での体を手に入れてからじゃ。貴様の体、わしに寄越せえぃ!』  引き絞られた弓矢の如く、煙が彼女の背へと飛来する。そして体を乗っ取って現世で自由に動くことのできる体を手に入れようと、煙は弾丸と遜色ない速度で彼女へ迫り―― 『今こそ、天下統一の時じゃあ!』  ――彼女と煙の間に、一枚の鉄板が割り込んできた。 『えっ』  しゅん、と煙は突然割り込んできた鉄板に吸い込まれる。鉄板は彼女を内側に招き入れると、ひとりでに閉じていく。その鉄板……つまるところ一枚の扉に、煙は突っ込んでしまった。 『……えっ。ちょっ、あれっ』  視界が廊下に固定されている。あるはずの腕を動かそうとすると、鋭くない鉤爪のような金属が代わりに動く。それも直角以上動かない。体の正面は生ぬるい暑さに晒されているというのに、背中は妙に涼しく、肩甲骨のあたりに大きなイボができている気がする。 『な、なんじゃ、わしは今、どういう状態に……うひょう!』  不意に肩のイボをつままれ、捻られる。痛みはないがガチャリという音と共に腕が動かなくなってしまった。直角に動いていた腕が今や十五度動けばいい方だ。 『どういうことなのだ。わしは、一体、どうしてしまったというのだ――!』 *
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!