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somnium05:暴力と傷
殴っていいよと言うお前の言葉に甘えて自分に素直になってみたら、たちまちお前は俺を罵倒し始めるんだから、まるで理不尽だと思った。
最低、と女は言った。
最低?誰が?お前を殴る俺が?
俺がお前を殴ることを許容したのは一体誰なのだ、と俺はぼんやり思う。
俺はお前の言葉を信じただけのことだ。それのどこが最低だというのだろうか。
今傷付いたのは俺で、お前じゃない。
勿論、最低なのもお前のほうだ。
そうだろ?そうじゃないのか?
俺は床に座り込んだまま立とうとしない女の、長い髪の毛をひっつかむと力任せにそれを持ち上げた。
女が短い悲鳴をあげて、つられるように立ち上がる。彼女の顔を覗きこむと、痛い、やめて、と泣いた。
「この状況を望んだのはお前のはずなんだけど、それについてはどう考えてんの?」
返事はなかった。
俺は抵抗する女を浴室に連れていき、何度も繰り返し水を張った浴槽に沈めた。
彼女は顔が水面に浮かぶ度、ごめんなさい、ごめんなさい、と絶叫した。怒ったり、謝ったり、まるで一貫性のないその主張に思わず笑いが込み上げる。笑いながら、俺はよっぽど頭がどうにかなりそうだった。
失神したのかやがて女は静かになる。
その頃にはすっかり俺も疲れ果てていて、浴槽を覗きこむようにしてぐったりしている女をそこから引き剥がす気力もなかった。
俺はタイルの壁にもたれ、ただ天井を見上げて幾らかの時間を過ごした。
「最低ね」
しばらくして女が低く唸るように声をあげた。
「貴方は最低よ」
俺は四つ足で女のもとに寄ると、その髪を再び引っ付かむ。一瞬で女の身体が強張り、空気がはりつめるのを感じながらも構わず力を入れて無理矢理上を向かせる。
女は確かに怯えながらも、抵抗しなかった。涙に濡れた瞳が揺れていた。
「なにを今更」
俺は浴室を後にした。洗面台で手と顔を洗って鏡で自分の姿を眺める。
女の爪が皮膚をえぐったのだろう。頬や首、身体中にみみず腫れが出来ていた。それは今になって酷く痛み始めた。
「ねえ」
傍らの浴室の扉に手を掛けて浴室内に身を乗り出す。
「なによ」
顔も向けずに女。
「俺、お前のせいで全身が傷だらけだ」
「…………」
凄く痛いよ、そこまで言ってようやく女はこちらに視線を寄越した。
そして泣き出しそうになっている俺の顔を見て笑い出し、「なにを今更」と、小さく呟いた。
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