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somnium00:ネズミを殺す
「私はネズミを殺した事がある。首を締めて」
紅茶につけて出したスプーンを手で弄びながら、彼女は何の脈絡もなく言う。
「大抵の人は私がそう言うと酷く狼狽する。疑念や、畏怖や、嫌悪に濁った目で、私をみる」
スプーンをソーサーに戻した彼女は酷く無表情のまま俺を見た。黒々と濡れた瞳が俺を睨む。その妖艶な眼差しは俺の感情を探るようだった。
「俺も殺したことあるよ、ネズミ」
しれと言って紅茶を啜る。
「首の骨を折ろうとした。親指と、人差し指、中指の三本の指で──ああ、いや掌を全体を使うとネズミの全身を掴むことになるから……で、三本の指を首に回したその時、とても暖いと感じたのをよく覚えてる。暖かいんだ、ホント。力を入れるとネズミはキュー、って鳴いたよ」
「それで?」
「力の入れ方がわからなかった。どのくらいの力でネズミが絶命するか、わからなかったんだ」
「怖かったのね」
「ああ、そうだ。目一杯力を入れてしまうことが怖かった。なんたって暖かいんだ。びっくりするよ、ホントに──、命は暖かいんだ」
俺はティーカップをソーサーに戻す。
半壊した洋館の、廃墟同然のリビングには向かいあう俺と彼女以外の生命の存在を感じない。静かだ。青く透き通った光が崩れた屋根の隙間からテーブルに降り注いで、カップの中の紅茶をキラキラと反射させている。まるで場違いな、目障りな美しさだった。
「ねぇ、殺しの感想は?」
「……お前は誰だよ」
俺はテーブルを蹴り上げると、そのままの勢いで卓上のものを左腕で一息に払い除けた。けたたましく音を立てて割れた食器が辺りに散乱する。
「お前は誰だ!」
どうして、どうして。
手が震える。
俺は絶叫して食器棚を壁から引き剥がすように倒した。砕けた角砂糖の甘い香りにむせて吐く。苦しい、苦しい。喉が焼けるように痛む。なんで?どうして?俺はどうすれば良かったんだ。
「ねぇ、殺しの感想は?」
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