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「麻野さん、麻野祐一さん。診察室の中にお入りください。」
「あ、はい」
麻野は膝にかけていたスーツと足元に挟んでいた書類ケースをかき抱くようにして立ち上がった。病院で機敏な動きをした為か、待合室のほとんどの視線を受けてしまい 麻野は俯いて立ち止まった。
「麻野さん、大丈夫ですか?」
診察室のドアを開けていた看護士が声を掛けたせいで余計に目立ってしまう。
「・・・はい、大丈夫、です」
麻野は顔を隠すように肩を上げて足早に診察室へ入ると お掛けください、と柔らかくハスキーな声がして 気恥ずかしさのあまり俯いたまま軋む椅子へ腰を下ろした。
「当院は初めてですね。今日はどうされました?」
麻野はまだ俯いていたが、待合室とは違う、病院らしくない室内の匂いに自然と顔をあげていた。
「ああ、アロマ焚いてるんですよ。できるだけ、リラックスできるように」
そう言って整った顔の目を細めて笑う、線の細い中性的な医師。麻野は音速で胸元の名札に視線を送って性別を見極めようとしたが、男性とも女性ともとれる名前だったので少しだけ湧いた興味を掻き消すように後頭部を掻いた。
「緊張なさらずに。」
精神科医の芦谷恵は、麻野を諭すように話しかける。仕事や家庭で疲れて自分は鬱病かもしれない、と心療内科を受診する男性は近年増えている。女性よりも愚痴を解き放つ場が少ない男性の方が、こっそりと通院することは少なくはない。
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