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こうして篠崎和也は死に、玉網木鈴那が生まれた。それから元のパートナーが起こした騒動に巻き込まれた私は、解決の折に組織を抜けた。今はフリーランスの殺し屋として、まだ十六歳の鈴那を養いながら、上司から最後に贈られた高級マンション『サンライズ朱鳳』の一室に、ふたりで暮らしている。
「――着いたよ、お客さん」
過ぎし日を思い返していたら、いつの間にか目的地に着いていたらしい。今度は微睡んでいたわけじゃないので、運賃分のお金を手渡す。
「へい、毎度」
目だけを動かして確認し、私が降りたのを見届けると、小麦色に焼けた肌の運転手は車を急発進させて去っていった。今さら気にしても仕方ないけれど、素っ気無くしすぎて少し怒らせてしまったのかもしれない。
マンションに入った途端、縫い針で肌を撫ぜられるような感覚がすう、と引いていった。相変わらずの冷房具合だ。この時季、既に焼け付く暑さだからといって、薄着で初めて入ってきた人は、肌寒さを感じるに違いない。
硝子製の自動扉の近くにある指紋照合機に人差し指を置き、扉を開ける。最新鋭の高級マンションだけあって部屋主とその家族以外は、中から招かれなければ決して入ることのできない仕組みになっている。
丁度降りてきた住人と入れ替わりに、エレベーターに飛び乗る。十五階、『1521号室』――そこに着くのに、二分とかからない。
自分の“家”の前に立った私は、思わず呼び鈴を鳴らすのに躊躇する。ギャンブル好きの好事家がたまに家に帰ってきた時の心境って、こんな感じなのかしら。
同時にふと浮かんだ馬鹿馬鹿しい考えに、軽く首を横に振る。押すなよ、絶対に押すなよ――なんて、どこかの漫才じゃないんだから……
ふふ、と笑ってから、呼び鈴を押す。来客を告げる軽快な音が部屋にも聞こえたはずだけれど、何の音も返ってこない。
「お出かけ中?」
そういえば、電話をかけるのを忘れていた。どちらの問いにも答えなど返ってくるはずもなく、もう一度呼び鈴を押そうとした時――勢い良くドアが開き、腹に強かな衝撃を受けた。
「おかえりっ、麟那姉さん!」
「ぐえぇ……た、ただいま鈴那……」
十日ぶりに見る、面倒くさがって伸ばしに伸ばした黒髪のポニーテールが、肌をくすぐる。
妹――鈴那のエクストリーム出迎えを受けた私は、蛙が潰れたような声で、帰宅の挨拶を返したのだった。
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