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欲に抗わず、素直に目を閉じる。ラジオからのトークを子守唄代わりに、身体を休ませる。けれどパーソナリティの一言で、眠りの澱に沈みかけていた私の意識は覚醒させられた。
『今日は、五月十四日ですねぇ――』
「――」
ああ。それで、あの夢を見たのか。
正確には夢じゃないのだけれど……。私は“私が産まれた世界での夢を見ることができない”から――
五月十四日。この日ほど、私の心に深く刻まれている日はない。私と鈴那(すずな)が初めて出会った、とても大切な日――
――二年前のこの日。とある街をぶらついていた私は、鍛えられた聴覚で呻き声を聞き取り、うらぶれたシャッター街の奥で、まるで乳白色のペンキでもぶち撒けられたかのような状態で放心している、鈴那になる前の男の子――篠崎和也(しのざき かずや)と出会った。
死んだ魚の目。そこかしこから立ち昇る雄の臭い。何をされたかは一目瞭然だった。
時間をおいて話を聞けば、あの子の置かれた環境がどれほど劣悪だったか……
賭博好きのイカれた両親から事あるごとに虐待を受け、ご飯も満足に食べさせてもらえない。身体つきもあまり良くなく、女の子みたいだから学校でもまた虐められる。家と学校という名目のプレスヤードに挟まれたような苦痛極まりない生活を送り続け、そのうちに家の金も尽き、食い扶持を減らすために、あの子は情けの欠片もなく捨てられた。
「お姉さん、悪い人でしょ? 僕を殺してよ……」
話し終えて力なく手足をだらりとさせたあの子の目から、一粒の涙が零れ落ちた。一瞬で死ねるように、拳銃で心臓を撃ち抜けばそれで終わり――あの子の灯火を消すのは、赤子の手を捻るよりも容易かった。でも、私はそれをしなかった。
「あなたに、生きる意味を与えてあげる」
「えっ――」
反論する間など与えなかった。即効性の麻酔薬で昏倒させ、ドクター・ヌマを呼んで説得して、篠崎和也を“玉網木鈴那”にするための性転換手術を行わせた。
鈴那が“生まれる”前に私は、篠崎和也にかかる全てを断ち切るために動いた。堕落を貪る唾棄すべき者達の家に押し入り、男の腹を裂き、女の十指をナイフで落とした。泣こうが喚こうが許しを請おうが、手は止めない。最後は家ごと焼いて灰にした。その後処理と同じく、残る親戚や係累には当時の上司から上へ働きかけてもらい、金と言葉で圧力を掛けた。
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