神格願望不在論

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「……わからない」 「おや? そこは一も二もなくイエスなのでは?」  目元に手をやり、自問する。  色彩を喪った人生というのが象徴ではなく事実として存在する以上、それを素直に受け容れること、利き腕が無くなってそれを形にすることも困難になったこと。  その理不尽に光明を得るのに、不定形の何かに縋るのは間違いだと言うのだろうか。  或いは、俺自身が縋りたかったのか、否定したかったのか。分からないのだ。 「考え方ひとつ、思いひとつでこの風景に色が戻るならそれはとても素晴らしい事だと思う。  腕は戻ってこないけど、代替手段はあると人は言うだろう。けど……けどそれは、俺自身がこの間までと全く違う何かになるようで、恐いんだよ。  既に違っている世界で生き続けるのが恐いんだ。当たり前だった隣人が死んでも悲しくなかったのに、自分が変わってしまったことばかりが耐えられない。それは酷薄だと思わないか? 神様の有無の認識を改めてまで、元に戻りたいと思ってる。  自分勝手だよ、間違い無い……」 「そういうことですよ。  喪ってしまった現実を前にして、新しい自分を詰め込むことが恐いだけなんですよ、貴方。  だから奇跡があって、神通力があって、神様がここに居たとしても貴方の願いは叶えられません。 『貴方の願いを叶える神』なんて居ないんですよ。空っぽの容器に指向性を詰め込んだらどうなります? それこそ貴方じゃなくなる。貴方の器をした何かでしかなくなる。そういうわけですから、貴方の願いは叶えられない」  ――遠くからヒグラシの声が聞こえる。  モノクロに灰褐色が強くなり、夜が近いことを伺わせた。こういう時、色盲となったこの目が疎ましい。  相手の姿はもう、無い。そもそもそれが実在したのか、俺のイマジナリーフレンドだったのかも解らない。  森の青さも、社の木目も、ただモノクロでしか無い。  腕が生えて来るわけでもなければ、義肢を付ける見通しも考えも今はない。  何も解決しては居ない。多分、これからも。  だから、先ずは喪ってしまったものに対して悼み、痛むことから始めようと思う。  夕闇がすっかり風景を塗りつぶすまで。  了
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