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漫然と、ただ立ち尽くしていた。
頭の中に靄が立ち込め、思考は完全に凍ってしまっていた。目の前を流れる川のせせらぎだけが、じんわり耳孔を満たす。
二十年振りに目の当たりにする生まれ故郷は当時となんら変わらず、そのせいか「懐かしい」なんて情念よりも、そこはかとない疎外感の方が先立った。
「兄さん、兄さんってば」
ふと呼ばれた気がして振り返る。
良く見知った顔がそこにいた。
「兄さんってば、またぼーっとして。何度呼んだと思ってるの?」
「……俺はどのくらいここに突っ立ってた?」
「さあね。立ったまま居眠りでもしてた?」
居眠りね。
そうかもしれない。
弟は俺の顔を覗き込むように窺うと「ここの川辺、気持ち良いもんね」と小さく笑った。
俺は何も言えなかった。
「久しぶりだね兄さん」
「ああ、本当に」
……本当に久しぶりだ。
「変わらないなお前は」
学生服に身を包んだ弟に向かって、そう呟く。
「兄さんは……少し老けたね」
そりゃそうだ。もうこの町で過ごした年月より、この町から離れた月日の方が長い。
生ぬるい風が頬を切る。
あの頃と同じ匂いがした。
「もう目は醒めたかい?」
弟の言葉に、
俺はかぶりを振って答えた。
「まだ夢の中らしい」
「どんな夢?」
俺は真っ直ぐ弟の目を見据えた。すっかり開き切った身長差のせいで、随分と視線を下げなければならなかった。
「二十年前に死んだお前と、こうやって川辺で話してる夢」
言葉尻に自嘲が滲んだ。この町を遠ざけた理由……それが、今目の前に立っているのだ。
あの日俺の眼前で、“溺れ死んだ”弟が。
「……でもおかしな話だよね」
彼が口を開く。
「兄さんが僕に会いに来てくれたのか、はたまた僕が兄さんに会いに来たのか」
「……お前は」
恨んでいないのか……?
お前を助けられなかった、この俺を。
だが、それ以上は言葉にならなかった。
弟は笑った。
「果たしてこれは僕と兄さん、どっちが見ている夢なんだろう」
……夢か。
「どっちだって良いさ」
中学生のまま変わらない弟。
二十年前と変わらない川辺のせせらぎ。
俺だけが変わっていく。
身長も、年齢も、何もかも。
傷跡を抱えたまま、古びていく。
だから今は。
願わくば、今だけはこの景色の中で。
「もう少し醒めないでいたいな」
「うん」
二人でそっと、
立ち尽くしていたい。
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