能古島の歴史

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能古島の歴史

能古島は、古くは『残』『能許』『能拳』『乃古』と、呼ばれていた時代が有りました。 現在の呼び名に落ち着いたのは、戦後からです。 島には、弥生時代の遺跡や、7世紀前後の古墳が残っています。 恐らく、大陸からの渡来人が定住されたのでしょう。 奈良時代には、島の北端の世良岬(セラミサキ)に防人が設置され、万葉集には 『沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 世良の防人 早く告げこそ』と 詠まれています。 平安時代には、伊賀寿太郎が築城した『城崎城』の遺構が、島の南東の城ノ浦に残っています。 1019年の刀伊(とい)の入寇や、1281年の弘安の役に際しては、島に上陸されたなど、古の時代から歴史にその名を記す、海上の要所でもありました。 幕末の1853年には、イギリスのスターリング東洋艦隊提督が、能古島で鹿狩りを行ったと言う、記録が残っています。 尚、島の鹿は1945年頃に、絶滅しています。 《能古島の全景》image=474415663.jpg
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