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京の街に花菖蒲が咲く季節が来た。
秩は殆どの時間を床の中で過すようになっていた。
今となっては一月前の花見が嘘のようである。
開け放たれた襖から見える庭だけが秩に時の移ろいを感じさせる。
「おかあはん、今日な春太兄達とメダカ捕まえたん」
秩の枕元に座り、ゆきが今日一日の出来事を話す。
それを秩は穏やかな笑みを浮かべながら聞いて居た。
「ほうか、良かったね。ゆきは毎日、楽しおすか?」
「うん」
「なら、良かった。毎日を楽しく一生懸命に過ごしなはれ」
「はい」
一通り話し終えると、ゆきは秩の布団にもぐり込む。
そんなゆきを秩は赤子を抱くように抱き寄せた。
それは十日ほど前からの習慣になっていた。
ゆきは遊び疲れて直ぐに昼寝をしてしまうのだが、秩にはこの上なく嬉しい時間だった。
反対を見れば、五か月を迎えて大きく成長したキョウが、布団に座り楽しげに手を叩いて遊んでいた。
「秩、ただいま」
沖田が屯所から戻り顔を出す。秩や子供達の様子を見れば、その顔は穏やかに綻ぶ。
「お帰りなさい」
「はい、ゆきはまた寝てしまったのですか?」
「へー、今日はメダカを捕まえたんやて」
「ゆきに捕まるメダカとは、少々間抜けですね」
二人は小さく笑い合うと、沖田はキョウを抱き上げて秩の横に寝転がる。
「今日の巡査で新しい甘味屋を見付けたんですよ。
あの匂いは絶対に美味しいです。今度買って来ますね」
此処の所、食欲が無く殆ど食べれない秩を気遣っての言葉だ。
「楽しみどすなぁ」
沖田に合わせて秩が答える。
だが秩にはもう自分が長くない事が分かって居た。
こうやって話して居る事さえ、最早苦しくなっていた。
「総司はん、ウチは総司はんとこうして過ごせて幸せや」
「私もですよ」
秩と沖田の手が絡む。互いに顔を寄せ合い微笑んだ。
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