あとがき

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 続いて、ゆきとキョウのその後のお話を!  秩が亡くなり沖田さんも京を離れ、同じ労咳で亡くなります。  二人の子供達はそのまま浜崎新三郎さんに育てられたと言います。  後の明治四年頃、ゆきが結婚して京を離れます。  嫁ぎ先は、お話には出しませんでしたが、沖田さんが助命嘆願し、命が救われたと言われる酒井意章さんの養子・酒井意誠さんの養子さんのもとです。  この酒井意誠さん、新撰組の関係者は誰も参列しなかったと言われる秩さんの葬儀に、大阪から駆け付けて居るんですね。  そして沖田氏縁者様の墓の施主でもあります。(光縁寺の過去帳にも記されています)  余程恩義を感じていたのでしょうね。  話が脱線しました。すみません。ですが、脱線ついでにもう一つ。  沖田さんの吐血時期ですが、今回は一説にある慶応三年三月を採用致しました。  本当にこの時期だとすると心が痛いです。  秩の亡くなる僅か一月前程です。  恋しい恋人が目の前で衰弱していく中、自分も同じ病であると自覚してしまうのですから。  そして、娘達の事も悩んだでしょう。  さて、本題に戻ります。  浜崎新三郎さんに育てられたゆきが嫁ぐ時、キョウも一緒に大阪の酒井さんの所に行ったと言われています。  そしてゆきは晩年まで沖田さんとの関係を自慢していたと言います。きっと素敵な父だったのでしょうね。  その後、キョウも嫁ぐ時が来て、奈良の方へ行ったと言います。  もしかすると、今も秘かに沖田さんと秩さんの血を受け継ぐ方がいらっしゃるかも知れません。  あくまでも一説であり、事実だと確証のあるものではい事をご了承下さいませ。  最後になりましたが、目の前に当たり前にある幸せは永遠ではない。  だからこそ、大切で愛しいモノであると感じて頂けると幸いです。  本当に最期まで有難うございました。  皆様にも素晴らしいご縁があります事をお祈り申し上げ、沖田さんと秩さんのご冥福をお祈り致しましてお仕舞いとさせて頂きます。  皆様、大好き!!    芙羽 special thanks 表紙絵 神月 一八様 タイトル 桜柚様 指導 真様
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