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「春太、人にぶつかったら謝らなければなりませんよ」
すると子供達の中の六・七歳くらいの男の子が、女とゆきを抱える男の方に駆けてきて、目の前で大きく頭を下げた。
「すんまへん」
男は良くできたと言わんばかりに春太と呼んだ男の子の頭を撫でて、女とゆきに言う。
「すみませんでした。これで許して下さい」
当然のように頭を下げた男に女は面食らう。
どう見ても男は二十歳の自分と年が変わらないように見えた。
春太と呼ばれた子の父にしては若すぎる。
女は慌てて頭を横に振って言う。
「こっちこそ、すんまへん。道の真ん中に立っとったウチらも悪いんよ」
そんな女に男は輝くような笑顔を見せると、
「では、おあいこですね。私は近くに住む惣次郎と言います。
失礼ですが、あまりお見掛けしないお顔ですが?」
と、言った。
あまりの人懐こい男の様子に多少驚きつつも、女も自然と名乗っていた。
「ウチは石井秩と言います。その子は、ゆき。
今日から彼処に見える、浜崎はんの所でお世話になります」
一瞬、惣次郎の表情が曇ったように見えたが明るい声を出して、
「それでは、またお会いするかもしれませんね。ゆきちゃん、今度は一緒に遊びましょう」
そう言い残して抱えていたゆきを下ろすと、惣次郎は春太と一緒に駆けていった。
そのひょろりと背の高い後ろ姿を見送りながら、秩は普段人見知りの激しいゆきが泣きもせずに抱かれていた事を思っていた。
惣次郎はんは、優しいお人なんやろうなぁ
此が秩と惣次郎の出会いだった。
文久三年の未だ土の香りがする春の事だった。
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