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「頼まれぐちは大した事ではおまへん。せやかて、頼んでけたモンが問題なんえ」
トクの言い方に、秩の不安が煽られる。
「どんような人なんえ?」
トクはチラリと秩の顔を見やると、大きく息を吐いて言う。
「秩はんは壬生浪士組ちゅう浪士組ん話を、聞きやした事は有るんか?」
秩は初めて聞く名前に束の間首を傾げると、緩やかに首を横に振る。
それを見てトクはもう一度大きく息を吐くと、幼子に言って聞かせるように話し出した。
壬生浪士組は、元は文久三年二月に将軍家茂の上洛警護の為に江戸で集められ、入京してきた浪士達であった。
しかし、その浪士を集めるべく幕府に申し入れた清河八郎が、勤皇派と通じ浪士組を幕府では無く、朝廷側の兵力にしようとした。
その為に浪士組は解散、帰郷と言う事になった。
だがその中にあくまでも将軍警護の為に、京残留を申し出た者達が居た。
その者達は京都守護職である会津藩・松平容保に上申し、召し抱えとなって浜崎邸のある壬生村に屯所を構えた。
それが壬生浪士組である。
だが、この壬生浪士組はすこぶる評判が悪い。
身なりが貧しいと言う事もあるのだが、それよりも壬生浪士組を束ねる筆頭局長・芹沢鴨の悪行が原因だった。
京の街の者がミボロと呼ぶだけあって、壬生浪士組の経済状態は極めて苦しいのが窺い知れた。
そして貧しさ故に商家に押し掛けては資金提供を強要し、応じなければ無理難題を吹っかけたり、店先で乱暴を働く事も日常茶飯事だった。
また昨今、京の巷を賑わしている天誅組や尊皇攘夷派の取り締まりを名目に、朝な夕なに京の街を巡査と称して徒党を組んで練り歩く。
その様は雅を好む京の人々には到底受け入れる事の出来ない姿だった。
抜身の刀や槍を携え、ギラギラとした目で周りを威圧しながら歩いて居るのだ、町人に取っては恐ろしい以外何物でも無い。
極力関わり合いになりたくないと、壬生浪士組が通れば目を逸らし道を空け、早く通り過ぎてくれと祈るのだった。
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