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慶応二年十一月十五日、この日は二人の志士の運命の時である。
そう、歴史に名高い近江屋事件の起きた日だ。
大政奉還の立役者である坂本龍馬と中岡慎太郎の二人が同年同月同日に殺害されたというこの事件は、大きく取沙汰され大衆の関心を集めた。
事件の概略は、隠れ家の近江屋に潜伏していた坂本龍馬は、偶然にも当日自分を訪ねてきた同郷で同志の友人である中岡慎太郎と酒を酌み交わしていた。
そこに刺客が現れて、二人と龍馬の用心棒を殺害して逃走したというものだった。
だが、この事件は現代の世の中になっても未だ解明しない疑問を残した。それは、
誰が彼らを殺したか_____
ということである。
この件に関しては、実際に手を下した下手人の刺客や、暗殺を指図した黒幕も分かっていない。
まさに迷宮入りの事件である。
また、この事件には奇妙な点がいくつかあった。
現場には新撰組隊士の刀の鞘と下駄が残されていた為、当初下手人はこの付近を巡回する新撰組だとみなされていた。
だが、局長近藤勇は断固否認し、かつ、下手人とみなしたのが物的証拠だけで、殺害に及んだという証拠は皆無に等しかった。
第一に殺す動機がなかったのだ。
そこで次に浮上したのは、最も可能性が高いとされている、新撰組と同じく京を巡回する剣豪集団の見廻り組説だった。
だが、これも確たる証拠がなく、それとやはり動機がなかった。
こうした幕府勢力だけでなく、他にも薩摩藩説など反幕府勢力が黒幕ではないかとも考えられており、諸説様々である。
死後も尚、誰に殺されたのかと推測されている坂本龍馬、裏返せばそれ程大きな存在の人物であったといえよう。
それでもやはり疑問に思うことは飽くことを知らない。
極少数にしか知られていなかった隠れ家を突き止め、常に拳銃を所持し暗殺を警戒していた龍馬を、それを使わせる暇も与えずに切り伏せた謎の凄腕の刺客の正体とは?
幕府勢力に命を狙われる理由はなかったにもかかわらず、なぜ彼は殺されなければならなかったのか?
あるはずがないものが遺っていた奇妙な現場・・・その夜、近江屋では一体何が起こっていたのか?
この近江屋事件には二人の、いや、三人の男たちのそれぞれの志が携わっていた。
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