10人が本棚に入れています
本棚に追加
来ないで来ないで来ないで来ないで来ないで。
目の前に立つ恐怖から逃れるようにして、私は背を浴槽の壁に押し付ける。温かい湯に浸かっているはずの体がガタガタと震えている。
もう目は離せない。次に目を離せば浴室の中に入ってくる。微動だにしないこの影はそれを待っているのだ。私が目を離すのを。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
このまま気絶したかったが、それは叶わなかった。そんな私を嘲るように笑い声が響く。
不意に、笑い声が消えた。ピタリと唐突に止み、浴室には私の荒い呼吸の音が響くだけになった。気付くと、脱衣所に立っていた影も消えている。何も無かったかのような磨りガラスの向こうは、ボヤけた便器が見えるだけになっていた。
終わったのだろうか。
終わったのだ。
私は荒い息を整えながらそう自分に言い聞かせた。
終わった終わった終わった終わった大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。
呪文のように呟きながら、私は脱衣所を見詰める。何もいない。何の音もしない。始めから何も無かったかのように、すました明かりが脱衣所と浴室を照らしている。
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。
ようやく呼吸が整い始めた私は、大きく息を吐いた。
コンコン。
その音に息が止まった。私は飛沫をあげて浴槽の壁から背を離し振り返った。音は浴室の外、背後から聞こえたのだ。跳ねる心臓にまた呼吸を乱しながら、タイル貼りの壁を見詰める。
子供の笑い声が聞こえた。
背筋が凍った。背後に誰かが立っている気配。ドス黒い悪寒が背中から染み込んでくる。抑えきれない恐怖が漏れだしたように、私の目から涙が流れた。
私は今、脱衣所に背を向けているのだ。
真後ろから、子供の笑い声が聞こえる。どこか遠くからではななく、明らかに浴室の中で笑っている。可愛らしい声が余計に不気味だった。
涙が止まらなかった。
助けてください助けてください助けてください。
震える顎で歯をガチガチと鳴らしながら懇願する。その声に、嘲るような笑い声が重なる。
助けてください助けてください助けてください。
呪文のように呟きながら、私は意を決して振り返っ
最初のコメントを投稿しよう!