~序章~黄昏に見惚れて

6/36
前へ
/67ページ
次へ
   私は来た道を音もなく戻る。 廊下は更に黄色く照らされ、昼間とは違う雰囲気を漂わす。 ──さっき先生が言った、いのち短し、というのは大正時代に流れた『ゴンドラの唄』の一部分だと思う。 たしか、いのち短し 恋せよ少女(おとめ)。 …‥朱き唇 褪せぬ間に。 熱き血潮の 冷えぬ間に。 「明日の月日は…‥ないものを」 気がつくと頼りげない声が聞こえた。 どうやら無意識に一節を詠み上げてたらしい。 自分自身ハッとして唇に手を当てる。歌詞に出てきたような朱く艶のあるかどうかは分からないが、その唇は柔らかくプニプニしていた。 誰かに聴かれてやしないだろうか、私は恥ずかしそうに長い廊下の前後を見渡した。 だけど幸いにも人の気配は無く、それでも恥ずかしさは消えず私は身体を微妙に縮こませながらバツの悪そうに再び歩み始める。 端から見ればアホな子だと思われても仕方ない行動をとりながら、教室にまで辿り着いた。 ガララッと立て付けの悪そうな音をたてて入ると、冷たい風が私の火照った顔を通り過ぎていく。窓を見ると隙間風がカーテンをユラユラとなびかせていた、四月の空気は私にはまだ肌寒いようだ。 人は居ない。もちろん教室から発せられる音もない。出た時と変わらない景色に何故だか無性に寂しくなる。 帰ろう──そう思い、机の私物を片付けようと蛍光色のカーテン横を過ぎた時。 (ん…‥窓は出る前に全部閉めたような) 簡単な間違い探しが浮かび上がる。
/67ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加