1章:『罪』と『罰』とは

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しかし不思議なことに、ゲーム世界において必ずしも『罪』を持つ者が強いというわけではないようだ。 例えば重大な犯罪を犯した、この者が必ずしも高い『原罪』の値を持っているかと言うとそうではない。 同じように自らを奉仕して社会に尽くす職についている者全てが高い『犠牲』の値を持っていないと同じ原理である。 そのことを証明するように、社会に貢献することもなく、ただ無垢で何も知らないと悲しみにくれるしか出来ないか弱き者が、高い値を持っているというケースも存在している。 それでは一体何を持って値を決めているのか。そこまでははっきりと断言出来るものがない。しかし、ある1つの仮説を立てることには成功した。 この世界において『原罪』とは、“決して抗うことが出来ない原始的な罪”を指しているのではないだろうかと。 それは例えば幼いころから決められていた劣悪な環境であったり、不遇な生い立ち、自らの手では選択のしようもない事柄に対して、与えられた一種の『救済の力』なのではないだろうか。 前述した一般的な『罪』も『犠牲』も自ら選択した道の1つでしかない。しかし、選ぶことが出来なかった、そうすることでしか生きることを許されなかったものに対して、世界は力を与えている、そう考えるのだ。 それは『シンボル』も同様である。自らがシンボルの形を選ぶことは出来ない。どれ程相手を傷つける力を願おうとも、癒しの力を乞おうとも、自らを戒める象徴は自らが選べるものではない。 そして高い『罪』と『犠牲』を持つ者、その多くが強力なシンボルを持っているケースが高いことから、この2つには明確な相関関係が存在する。 その2つの結びつきが強い者、または象徴によって精神を病んでしまった者は、高い確率で『箱舟』のシンボルを持つのではないかと推測される。
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