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武市半平太は江戸への剣術修行が許され、お供を一人連れて行ける事になっていた。
そして武市は弟分の以蔵を選んだのだ。
二人は江戸の剣術道場、鏡心明智流士学館で修行に励んだ。
士学館は天下の三大道場の一つと言われ、ここで免許を取れば天下で五本の指に入る腕前だとまで言われていた。
元々、剣の達人である武市半平太は皆伝の免許を授けられ、更には塾頭にまで上り詰めた。
ところが以蔵はというと、武市と比べても劣らないほどの腕前を持ち、道場内での立ち合いも一度も遅れは取らぬはずなのに、士学館道場主桃井春蔵の「以蔵の剣には品が無い」の一言で免許は何一つ貰えぬまま、土佐への帰国を迎える事となってしまった。
以蔵の剣には品が無い、とは以蔵の剣風を指していた。
以蔵は体勢を低く構え、相手の足を払ったり、突いたりするのが得意だった。
しかし武士において、相手の足元を狙うのは卑怯であるとの考えと、足元を払おうとした所を脳天から割られてしまう可能性が高い為、禁じ技であった。
命懸けの武士の戦いにおいて、急所の脳天をさらけ出すほどのリスクを負った技を出す意味が無い。
脳天を割られずに足を払う事が出来たのは、桃井春蔵の教えではなく、以蔵のセンスで成せる技であった。
これを桃井春蔵は許さなかった。
結局、以蔵は腕は立ちながら、誰にもその剣は認めては貰えなかったのだ。
土佐へ帰った武市と以蔵は再び、下士の惨めさを目にした。
しかし、武市は何時までも指を加えて見ているのではなく、己達の手で大きく時勢を変えようとしていた。
江戸で桂や久坂、高杉等、他藩の権力者と話しを交え、土佐から日本を変えようと決意していたのだ。
その為には、まず土佐藩の考えを一つにまとめなければならない。
しかし、それを拒んだのは、やはり上士であった。
武市は坂本龍馬、吉村寅太郎、中岡慎太郎ら九十二人を集め、土佐勤王党を結成した。
岡田以蔵も、武市を追い加盟した。
しかし、この頃から武市は人が変わった。
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