はじまり

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(暇だな…) 外に出たのはいいが、結局やることはない。 朝餉の時間が近いのか、バタバタと人が動いているのを、庭の木々の枝の上間からこっそりと覗いていた。 その中の1人に鴉は目が止まった。 周りの女中より高価な着物を纏った女性。 美音だ。 美音は立ち止まると、ふと鴉のいる木々を見つめた。 完全に気づいているわけではない。ただ気配を感じるのだろう。 鴉は人を呼ばれては面倒だと考え、美音の前に姿を表した。 美音は鴉が現れたことに驚きはしなかったが、その瞳を見たとき、思わず息を飲んだ。 (紫の瞳…) 美しくも空っぽな瞳だ。 なんの感情も宿さない。美しくも冷たい瞳だった。 「あの、あなたは…」 「私は今日から武田軍に入隊しました、鴉と言うものです」 「鴉さん…私は武田の姫を名乗らせてもらっています。美音と言います」 「武田の姫…ご無礼をお許し下さい」 鴉は慌てて美音の前にひざまずく。 「そ、そんなにかしこまらないで下さい。あ、あの…鴉さんはくノ一なのですか?」 「はい」 と鴉が答えたところで、 「鴉!」 鴉の名前を呼ぶ声に鴉は顔をあげる。 「鴉!部屋で待っててって言ったでしょ!」 佐助が怒りながら慌ててやって来た。 「うむ。しかし、暇だったのだ」 「暇だからって…」 (まだ全然信用してないんだけど) あまり勝手に動かれたくはない。 佐助は小さくため息をつき、美音の方を向く。 「美音ちゃん、旦那達がお待ちだよ」 「あ、そうですね…では、鴉さん、また」 にこりとほほえんで美音は鴉の元を去る。 (あ……) 笑った瞬間、思わず鴉は言葉をなくした。 (美しい…) ただ美しいだけではなかった。纏う空気も、まるで美音の周りだけ切り取られたかのように、柔らかく、和ませた。 (なんと不思議な姫様だ…) 鴉はその背中を見送っていた。 「鴉、どう?美音ちゃんの印象は?」 「…美しい方であった…」 ただ美しいだけではなく、纏う空気も、一瞬にして変わった。 (近づいたら汚してしまいそうだ…) 「もう関わることもないだろうがな…」 「それがそうでもないんだよね~」 「どういうことだ?」 鴉は佐助を振り返る。 「お館様はあんたを美音ちゃんの護衛にって考えている」 「護衛?我が?」 鴉は驚きを隠せない。
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