転機

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 野球はもうやめるつもりだった。 いくら練習しても追い付かない、届かない。 親友であり、ライバルでもあるそいつには。 そいつ、成瀬 信也(なるせ しんや)。 高い背、スラっとした体系、甘いマスク、極めつけに野球の花型ポジション投手で130キロ後半の速球に消えたかと思われるほど曲がる変化球。 有名高校のスカウトが一斉に食いついている。  かくいう俺は榊原 勇太(さかきばら ゆうた)。 成瀬の高い身長よりもさらに一回り高い身長だが横もあり、冗談でも甘いマスクと呼ばれることはないであろう程にごつい顔と自負している。 野球の実力はお世辞にも成瀬には届かないものでサウスポーで体格が良い、というだけが取り柄の低打率鈍足ファーストとでも言えば伝わりやすいだろうか。 俺はなぜこの男と張り合っていたのだろうか。 勝てるはずがないのに。 そう思っていた時期にある一人の男が俺の元へとやってきた。 「今日も相変わらずお前のこと狙ってるスカウトが多いな」  周りを見渡しながら隣でスパイクの紐を結んでいる成瀬に皮肉気味に言う。 成瀬はふぅ、と一呼吸おいてからベンチに置いてあるグラブを手に取りその中のボールを下手投げでよこした。 「俺はもう進学先決めてるよ。第一この愛知県で甲子園にもっとも近いのは現状二校だからね」 「……栄美(えいび)高校と輝生(きじょう)高校か。最近はもっぱら輝生だけどな」  栄美高校と輝生高校。 激戦区愛知県で安定してベスト4に入るのがこの2つの高校である。 だが最近は輝生高校が頭一つ抜けて甲子園出場を決める回数が増えている。 「俺は輝生に行くよ。あそこの監督が一番に俺に目を付けてくれた。設備も実績も申し分ない」  顔にニヤッ、と笑みを浮かべ俺と距離をとりグラブを出す。 俺もそこに向けてボールを投げる。 胸からやや右にそれたボールを成瀬は危なげなくキャッチした。 「小学生から一緒にやってきたがここからは別々の高校で野球か。寂しくなるな」  その言葉を聞きドキッとする。 まだ成瀬には野球をやめることを言っていない。 いや、成瀬だけではない。 監督、家族にもその旨は伝えていない。 自分の心の中でだけ。
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