第〇話「はじまり」

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 強い雨が降っている。    授業が終わった時点では灰色の雲が広がっていた空は担任に呼び出されている間に窓ガラスに水滴を垂らし始め、下足に辿りついた頃には完全な雨模様になっていた。  折りたたみ傘は持っているものの、帰る頃には靴がずぶ濡れになってるだろう。また車通学を勧められるであろうことを憂鬱に思いながら出口に目を遣ると、小柄な後ろ姿が視界に入った。 「――」  その人物の名前を、俺は知っていた。  同級生だから、斜め前の席に座っているからではなく、もっと前に教えられていた。  あの日、あの公園で出会った相手。    中学に進学して間もない頃、校門前で見かけた時は驚いた。まさか同じ学校に進学しているとは思わなかったし、友達と笑っている姿は、記憶の中のそれとまるで変わらなかったから。  高校で同じクラスになった時は内心気まずい思いをしたものの、すぐに不要な心配だと気付いた。たった一度、短時間会っただけの人間など覚えているわけがない。よっぽど深く刻まれた記憶でもない限り。  それでも、ふとした瞬間に目で追った。  あの人の良さそうな笑顔を。柔らかい声を。少し大袈裟な身振りを。反応は理性を裏切って、何度心に蓋をしても上手くいかなかった。  だから、雨が止むのを待っている姿を見た時、これで終わりにしようと思った。  今回だけ話をして、全部忘れる。もう見ない。考えない。こんな気持ちを抱くことは許されないし、自分が周囲にどう思われているかはよく知っている。だから、今すぐに。  心臓が馬鹿みたいに騒ぐ。  ほとんど吐きそうになりながら、俺は一歩足を踏み出した。なるべく無関心そうに聞こえるように気をつけながら、手の中の傘を握りしめて、やっとの思いで口を開く――   「これ、使えよ」      
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