第1話 大悪党降臨!!正義の味方は大反転

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  「どうだろうね。そんな些細な事私は覚えていないよ情惰君。正直に言うならどうでもいいし。……そんな事より情惰君。君さ、何で今この場にいるの。もしかして私の私事を手伝ってくれるのかな?」 「ばーか。ンな訳ねえだろ。つーか俺はお前の私事なんざ手伝える程の頭は持ってない。俺が今此処に、お前の前に居るのはだな、お前に教えて貰う事があるから。それだけだよ」  その言葉に、教えて貰う事があるからという情惰の言葉に、今まで情惰の言葉にも、ましてや自分の言葉にも何も想っていなかった伽草が、一瞬……たったの一瞬だけ、手を止める。  それは別に情惰の言葉が気に障った訳では勿論なく、また特に自身に負い目が有るという訳でもない。  少女、伽藍伽草はそんな事、一欠片も思わないのだから。  気に障る、負い目を感じる、他人への関心、自身への感想、感動、感激──そんなモノは、伽草には亡い。  喩えそれが誰であろうと何であろうと、伽藍伽草は何も思わないし、想う事などない。  だから。  彼女は目の前で事故が起ころうと、両親が目の前で殺されようと、この目の前の青年がどうだろうと、何も感じない。  それが彼女の普通。  それが彼女の常識。  でも、それでは、ダメなのだ。そんな事をしていては、そんな、何も感じない思わない想わない人間なんて、疎外されるかもしれないし、不気味に思われるかもしれない。  正直な咄。  伽藍伽草は、不気味だと思われようと、疎外されようと、思う所は何もない。  もし自分が不気味だと思われようが疎外されようが、『それはそういう事』と納得するでもなく、気にも留めない、関心しない。  何も無いし、何も亡いのだ。伽藍伽草には。  何も想わず納得してしまえて、何も想わず咄を進める事ができてしまえて、何も想わず人の死を、見てしまえる。それが如何に惨くて、酷くて、名伏しがたくて形容しがたい、死だろうと。  事実。  『実際見てしまって』いるのだから。  どうしようもなく残酷で、凄惨で、とても見れたもんじゃないような死を、殺人を、殺しを、死骸を、見てしまっているのだから。  否、観たのだから。  
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