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人間の精神というものは、とても複雑に、とても高度に成り立っている。
現代社会、我々はストレス社会といわれるほどに、その精神の複雑さに翻弄されている。
その精神というものは、心だったり、魂だったり、様々な形で表現されているが、いまだにその現物を見たものはいない。それは、実体がないからであろう。
しかし、実体がないのに、我々は、心や魂を、「在る」「存在する」という。このことに、なぜ若干の違和感も感じることなく、会話を交わすことができるのか?
言葉の綾、といえば、それで済むかもしれない。
しかし、何も考えずにそれで終わらせるのは、ただ、考えるのが面倒な人間のすることだろう。
なら、どうその解を見つけ出すか。
なにか、身の回りに覚えはないだろうか?
実体がないのに、その場に、「在る」ものに、覚えはないだろうか?
空気?これは原子という実態の集まりであり、実体の存在しないものではない。
ここでの答えは、「エネルギー」である。
そう、精神とは、「エネルギー」の一種なのだ。
おそらくぴんと来ないだろう。精神がエネルギーなら、精神発電なんてものもあるはずではないか?という反論が飛んでくるかもしれない。
しかし、精神がとても強い「力」を持っているのも、また事実である。
極度の怒りは人に力を与え、大きすぎる恐怖は人に瞬発力を与える。
力は、すなわち、エネルギーである。
人間の根源たる「心」「魂」などの精神は、エネルギーなのである。
人間というものは、物質としての存在である前に、精神という、エネルギーの存在なのである。
そして、この世界では、そうした、精神の強力な力を理解し、使いこなす者が、常に陰で活躍している。
これは、そのうちの、ほんの一部を、物語として書き留めたものである。
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