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墨の夜空を焼き尽くさんばかりの紅蓮の炎が、ぼうぼうと燃え盛っている。
敵の侵入を防ぐためにつくられた木柵も逆茂木も、炎に焼かれてしまえば、何の役にも立たなかった。
幾万もの星が落ちて来るかの如く火矢が環壕内に射られ始めてから、わずかも時は過ぎていない。
あっという間に燃え広がった炎は、城柵にまでその灼熱の腕を伸ばそうとしていた。
狂った獣のような声がいくつも乱れ、迫ってくる。
生温かい風が運んでくる、むっと籠った臭いから逃れようと、衣紗(いすず)は袖で口元を覆った。
すると、お早く、お早く、と急かされ、もう一方の腕を掴まれる。
衣紗の侍女は、主の草靴が脱げ落ちてしまうのも構わず、主を引きずるようにして走った。
狂気の声は王を殺し、王の息子たちを殺し、そして今、衣紗に迫っている。
あの狂気に捕まれば、衣紗も父王や兄弟たちのように切り刻まれ、無残に殺されてしまうだろう。
(嫌っ。死にたくない!)
がちがちと鳴る奥歯を、ぐっと力を込めて噛み締めた。
群れをなした黒揚羽のような灰が、豊かな黒髪を乱しながら走る衣紗の周りをひらひらと舞っている。
汗とも涙とも知れぬ雫が衣紗の頬を濡らした。声が迫ってくる。
その声は衣紗を探して、すぐそこまで近づいていた。
(どうして。どうして、こんなことが起きてしまったの!?)
長くて邪魔な裳を力いっぱいに引き裂き、膝を露わに駆け続ける。
そうしながらも、彼女は我が身に起きている災難がとても信じられなかった。
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