484人が本棚に入れています
本棚に追加
衣紗と妹。
華那國王の娘と言えば、この二人だけだ。
巫女たちは華那國王の娘が女王になると予言しただけで、それが衣紗なのか、妹なのか、はっきりとは告げなかったが、誰もがそれを華那族の母親を持つ衣紗のことだと信じて疑わなかった。
哀れな妹は伊都族の女を母親に持つ。
いわば、華那國の者たちからしてみれば、よそ者だったからだ。
さらに、華那族の衣紗は生まれ落ちた時から玉のような美貌を持っていた。
まるで神々が丹精を込めて磨き上げたかのような滑らかな白い肌に、艶やかな黒髪。
黒曜石をはめ込んだかのような彼女の瞳に映りたいと望む男は後を絶たなかった。
華那國から女王が誕生するのだとしたら、この美しい衣紗以外に考えられない。
そうと信じた華那國の民によって、衣紗は天上の神々を崇めるが如く大切にされて育った。
彼女が望めば、望んだ以上のものが与えられ、金も銀も宝玉も絹も、人の心さえ彼女の意のままだ。
斯くして至極の幸せを与え続けられた衣紗は、いつしか自分は女王になるために生まれてきたのだと信じるようになっていった。
――それなのに。
衣紗は狩人に追われる獣のような自分に大声で喚きたくなる。
しかし疾うに呼吸が上がり、体力も限界に達していた。よろめき、転げるようにして走り続けること以外に衣紗にできることはない。
(山を。山を越えなければ。なんとしてでも生き延びるのよ)
パキリ、と衣紗の足の下で枯れ枝が弾けた。
足の裏に鋭い痛みが走って、一瞬、衣紗は体を震わせ、侍女の手を振り払う。
「衣紗様!」
ひゅっと、大気を切り裂く音が響いた。
そう思った直後のことだ。
まるで鳥が風を切って飛ぶように一本の矢が侍女の胸を貫く。
続けて、もう一本、さらに一本。
驚愕に瞳をまん丸にした侍女が衣紗に向かって大きく腕を伸ばした。
衣紗も手を伸ばす。
だが、衣紗の手が侍女の手を握ることはなかった。
最初のコメントを投稿しよう!