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紅蓮の炎が駆けてくる。
いや、違う。男だ。
弓を手にした青年が駆け寄って来て、新たな矢を構えると、その矢先を衣紗の胸元に突きつけた。
「お前が華那國の王女、衣紗で間違いはないな。わたしは耶羅國の王、千隼。耶羅國は女王を認めない。お前の命を取るが、恨むのなら戯言を口にした巫女たちを恨め!」
すぐ目の前で呆気なく散った命に言葉を失っていた衣紗であったが、生まれて初めて受けた高圧的な物言いに、不快感が悲しみを凌駕する。
素早く顔を上げ、キッと相手を睨みつけた。
だが、その一瞬後、衣紗は松明の灯りに照らされた青年の姿に、はっと息を呑む。
青年。
――いや、そう呼ぶには僅かに幼い。
千隼は衣紗の想像以上に若く美しい少年王だった。
噂に聞く耶羅王は、獰猛な肉食獣のような王だ。
周辺の小さな國々に攻め入り、征服し、自國を大きくしてきたと聞いた。
なるほど、目の前の千隼は噂通りに雄々しい。
はっきりと墨を引いたような眉。
強い意思を感じられる大きな瞳。
身に纏った麻の袈裟衣はおびただしい返り血で濡れており、木綿でまとめられた長い髪もひどく乱れ、右頬に刻まれた鮫を模した刺青にほつれ毛が貼りついている。
だが、衣紗はその精悍な顔立ちからあどけなさを感じ取ってしまった。
すべては千隼が衣紗よりも年若い少年であるせいだ。
――千隼は父王を殺し、兄弟を殺した。
そうだと分かっていてもなお、衣紗は千隼を前にして逃げることも罵ることもできず、まるで金縛りにあってしまったかのように一切の身動きが取れなくなっていた。
仇であるはずの相手。
今にも自分を殺そうとしている相手であるはずなのに、その相手に強烈に惹かれている自分を、どう足掻いても止められない。
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