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一方、千隼も衣紗の美貌を目の当たりにして脳天を打たれたような衝撃を味わっていた。
これほどの美女を未だかつて見たことがなかったのだ。
松明に照らされ輝く黒曜石の瞳。
その瞳に自分自身が映り込んでいることに気が付いた千隼は、胸が焼け焦げるような苦しさと喜びを瞬時に味わう。
全身の肌が粟立った。
落ち着かない。
今にも駆け出し、大声で喚きたくなる衝動。
胸が騒ぐ。
何か強大な力に急かされ、突き動かされようとしていた。
――彼女を掻き抱きたい。強く抱いて己の両腕に彼女を閉じ込めたい。手に入れたい!
千隼は弓矢を持つ手から力が抜けていくのを感じ、両腕を下ろす。
もはや彼女の命を奪うことができなくなっていた。
「千隼様、どうされたのですか」
松明を掲げ、千隼に付き従っている男が、早く衣紗を殺せと主を促す。
松明の炎がゆらりと揺れて、衣紗と千隼の顔に濃い影をつくった。
「この女を、どうしても殺さなければならないのか?」
「何をおっしゃっているのですか。女王になると予言を受けた少女ですよ。必ずや、千隼様の覇道の妨げになります」
「妨げか」
「ええ、妨げです!」
「……そうだな。流生(るい)、お前の言う通りだ。王たちを総べるのは女王ではない。このわたしだ!」
「そうです! 千隼様こそ至上の存在でなければなりません」
千隼の言葉を受けて流生と呼ばれた従者の荒っぽい声が間髪入れず響いた。
いつからそこにいたのか、薄闇から姿を現した数十の兵士たちが荒馬のように猛る気持ちを抑えながら千隼を見つめている。
彼らは予言を受けた王女を殺すために華那國まで攻め入ってきた。
そして、たったひとりの少女を殺すために、比較にもならない多くの血を流したのだ。
ここまでやってきて衣紗を殺さない理由が彼らには微塵も無い。
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