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現実に引き戻されたY氏は改めて鞄を見た。鞄はズッシリと重く、中に何か入っているようだった。
無性に鞄の中身が見たくなってきた。歩道で他人の鞄の中身を見るなど、無礼な行為であったが、急に鞄の中身を改めたい。そんな欲求が彼の中に生まれたのだ。理由は分からない。そもそも、欲求とはそうしたいという本能的な行為だ。そこに理由が設けられ行動するのならば、それは欲求ではない理性に基づいた行動に大分される。
ファスナーに手をかけ、引っ張り口を開くと中に目をやった。直後、Y氏は慌ててファスナーを閉めた。
急に挙動が不審になり、Y氏は鞄を抱きかかえるように持つと周囲を警戒しつつ、その場から立ち去った。
Y氏は警察署や交番には向かおうとしなかった。彼は真っ直ぐ、アパートへと戻った。焦る気持ちを抑え普通に帰ろうとしたが、どうしても早歩きになり、しまいには駆け足となって逃げ込むように部屋へと飛び込んだ。玄関を閉め、鍵も二重にかけると、抱えていた鞄を狭い六畳一間の部屋へと投げ入れた。
見間違いだったかもしれない。Y氏は興奮する気持ちを鎮めるように、深呼吸をすると、部屋に上がり放り投げた鞄の中身を改めて確認してみた。
「・・・・」
見間違いではなかった。鞄の中身は大量の札束で埋め尽くされていた。Y氏は初めてみた鞄いっぱいの札束に興奮が抑えきれなかった。普通なら、警察に届けるべきモノなのだが、何故かその当たり前の考えが今のY氏にはなかった。ただただ、目の前の札束を見て笑わずにはいられなかった。
よく金には魔力があり、人を狂わすという。そんな与太話、無職であるY氏にとって無縁の話だと思っていたし、金が人を狂わすなど信じられなかった。
しかし、Y氏は現物を目の前にして実感した。金には魔力があると。彼の心は今、その金に踊らされていたのだ。
街中で堂々と落ちていた鞄を持ち去ってしまった。大勢の人間に目撃されたが、問題はない。まさか、鞄の中に札束が詰まっているなど、夢にも思わないから。
万が一、金の持ち主が現れたとしても使った金のことは黙っていればいい。銀行の登録されている金とは違い、個人の持ち物なら使ったところで発覚することはない。
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