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「んだよ。戦わないなんざほざいておきながら、戦ってんじゃねェか」
身を起こした加賀屋が、ハンマーを槍へ作り替えながら悪態をつく。しかし、
「いや、戦っていないよ」シャギーは否定する。「僕はキミに“悪戯”しているだけさ」
蛇足とは、大昔の中国で行われた酒を賭けての勝負事が由来である。どちらが先に蛇の絵を描き上げるかという競争で、先に描き上げた方が調子に乗って足を描き加えた結果、「蛇に足なんてないだろう」という主張を覆せず酒を手に入れることが出来なかったという話だ。
即ち、蛇足の根本とは悪戯心にある。思えば、シャギーが元々行っていた使い方も悪戯ばかりであった。大介を始めとする友人達に余計なものを付け足して笑いを誘うという使用方法も、悪戯好きなシャギー自身の性格も、言技“蛇足”の正しい影響と言える。
そして、ここからが重要なのだ。悪戯目的で付け足した余計なものは、すべからくシャギーに“笑い”という有益な結果をもたらしている。術者に笑いを届けるそれらのものは――果たして、“余計なもの”と切り捨てられるのだろうか。
「悪戯だァ?」加賀屋が怒鳴る。「舐めてんじゃねェぞクソがァッ!」
「舐めちゃいないさ。いないよ。いないとも。これが僕の言技“蛇足”の正しい使い方なんだ」
加賀屋に包丁を突き刺してしまった際、シャギーは今までこんなに危険なものを友達に悪戯で使っていたのかと激しく後悔した。しかし、無意識化においても彼は付け足すものを“害のない面白いもの”に絞っていたのだ。その証拠として、シャギーの友達は誰一人として蛇足で傷ついてはいない。本当にランダムだというのなら、そうはいかないだろう。
「蛇足が付け足す“余計なもの”か否かの基準が僕自身にあるというのが、戦いにおいてどうしても邪魔だったんだ。攻撃や防御に使うものは、僕にとって“余計なもの”とはならないから」
だからこそ、余計なものの基準そのものを失った記憶喪失の状態は強かった。知識も記憶ごと失っているので付け足すものがワンパターンにこそなってしまったが、蛇足本来の力を真っ新な状態で思う存分に使うことが出来た。
「蛇足の使い方は、悪戯なんだ。僕はそのことを誰よりもよく知っていたのに、意地になって戦いに役立てようとしていた。それが間違いだったんだ。でも、おかげでわかった。蛇足は“余計なものを付け足す言技”ではない」
シャギーは、加賀屋を見上げる。
「僕の蛇足は“悪戯心で余計なものを選択して付け足す言技”だ」
「何だそりゃァ?」加賀屋は鼻で笑う。「対して変わらねェじゃねェか」
「そんなことはないさ。ないよ。ないですとも。世界なんて、認識一つでいくらでも形を変えるのだからね」
そうだ。だからシャギーは、戦わない。代わりに、悪戯をする。敵意ではなく遊び心で、悪意ではなく好奇心で言技を使う。
何処までも自由で楽しく愉快で痛快。それが彼の言技“蛇足”なのだ。
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