第1話

2/20
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ
夏が嫌いだ。 ギラギラと輝く太陽がアスファルトを照りつけては温度をあげ、蝉が必死に交尾を迫る歌を奏でる。すべての生命が盛んに燃え上がるその反面、夜になると感じてしまうのだ。 高温多湿の空気が鼻腔をくすぐると不快な癖にどこか懐かしい匂いがして、昼に盛んな命はなりを潜めた様に静まりかえる。昼が明るいからこそ夜はとても寂しくて悲しくて胸が張り裂けそうになる。 だから俺は夏が嫌いだ。 太陽が輝く程に深まる闇夜が恐ろしくて仕方がない。突如、襲いかかる寂しさに耐えきれない。 だから夏の夜は必ず音楽を聴く。少しでも気を紛れさせる為に小さな黒い箱の様なウォークマンを起動させて、イヤホンを耳に突っ込み踞りながら目をつむる。 チャイコフスキー作パ・ド・ドゥ。 静かな闇を切り裂く様な荘厳な音楽が外耳から入り込み内耳で増幅されて、俺の体を満たしていく。チェロの独奏から始まり弦の柔らかさと菅の硬質な音が混ざり、時に静に時に激しい音をならす。 まるで夏の様な曲だと俺は思うのだが、それを理解して貰った事は一度しかない。 俺は夏が嫌いだ。 そしてパ・ド・ドゥも嫌いだ。 いや、それも違う。 正確には嫌いになった、あの時から。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!