大切なあなたへ~ウィル視点~

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色んな人々と話して、アカリが存在する人物だと実感する事が出来た。自分の記憶が不自然に消えている所に、彼女の姿があるのだろう。 ウィルは仕事の合間に、アカリがいたであろう一ヶ月の間に関わった人々に話を聞いて回った。少ししか話をしなかった人でも、彼女は優しくて可愛らしい人だ、という印象を持っていた。 そして、アカリがいなくなってから一年以上した頃に、ウィルは無理を言って築野に彼女の写真を何枚か貰った。涙を流した姿しか思い出せないので、他の表情も知りたくなったのだ。ミレジカにはカメラという風景を一瞬にして精巧な絵にする技術は無いので、何枚か貰った写真の鮮やかさに驚いた。 そしてその写真の真ん中には、笑顔のアカリがいた。DREAM MAKER内の写真のようで、彼女の仲間らしき人々と笑い合っている。真剣な表情で仕事に取り組むアカリ。落ち込んだ背中。誰かと言い合いをしているのか少し怒った表情のアカリ。様々な彼女の姿が、そこにあった。泣いた姿しか覚えていなかったウィルにとって、写真に写る彼女の姿は新鮮で、何故か胸が熱くなった。 この表情を、自分に向けてくれていたような気がする。ずっと側にあったような気がした。ウィルは築野に礼を言ってその写真を毎日のように眺めた。 築野がアカリを盗撮しているとバレて、彼に一時期ストーカー疑惑が持ち上がったのだが、それは別の話。 ✱✱✱✱✱ 「燈はね、私の親友なの! とても優しくて、でも弱いところがあって、護ってあげたくなる存在だよ! ウィルにとっても、きっとそういう存在だったよ」 「燈は勝手に花を持ち出そうとするところもあったが…自分の意見をきちんと言える女だったな。お前も、よく正論を突き付けられていたよ」 「燈は僕に燈の世界について色々教えてくれたんだよ! 誰かが燈の部屋に行こうとして、ウィルもじゃんけんに参加するとか言って、おかしかったなあ」 「燈はウィルに話をして僕を探しに来てくれたんだろん! 燈がいなかったら僕はまだここにいなかったかもしれないろん! …燈がいなかったら、今のウィルもいないんだろん」 「燈か? 初めて会った時はただの人間かと思ったが―あいつは出来た人間だ。あの魔女に臆する事無く挑んだ。今があるのは彼女のお陰だ。今のお前があるのも、燈のお陰なんだよ。早く思い出せ」 「ウィルの燈に対する束縛すごかったよ! 燈が俺をジロジロ見つめただけで俺睨まれたもん。俺何もしていないのに! でも、燈を大切に想う気持ちはよく分かったよ。女王も燈の事気に入っていたし」 「燈がいたから今の僕はある。きっと、燈がいなければミレジカはまた厄災に見舞われてしまったかもしれない。彼女はミレジカを救った一人だ。もちろん、君もだよウィル。…まだ、思い出せない?」 ***** あれからどれくらい経っただろうか。ウィルはアカリの事を思い出せずにいる。彼女の存在は記憶の端で確認する事は出来るが、思い出そうとしても自分の記憶にはもやがかかってしまいうまくいかない。 皺だらけになってしまった写真を見つめる。彼女は、自分の事を覚えているのだろうか。ここに写る彼女は生き生きとしていて、とても楽しそうだ。自分がいなくても、彼女は生きられるのではないか、と考える。今自分が現れたとして、彼女は困惑してしまうだけでは。 ウィルは屋敷の花壇の前に立っていた。ライジルが世話をしている色とりどりの花を見下ろしながらため息を吐く。月が浮かぶ夜空の下は皆が寝静まってしまったようで何の音もしない。 記憶を戻すのは無謀な事なのだろうか、と考えが脳裏を過った時だった。 「ウィル、久しぶりね」 「!」 母親の声が聞こえて、ウィルはハッと顔を上げる。しかし、そこにいたのは、クレイスが自分の命と引き換えに命を宿らせた妖精、セイラだった。彼女の容姿も、声も母親と同じもので、一瞬錯覚してしまった。 セイラはウィルの目の前でそっと微笑んだ。 「懐かしいわ。ここは燈と初めて会った場所なのよ。燈はね、最初私をおしゃべり草と間違えてずっとそちらに話しかけていたわ。ふふ、本当に可愛い子だったわ」 「…セイラ。どうしてここに?」 「あなたの事が気になったのよ。…燈の事は思い出せていないわよね?」 ウィルが頷くと、セイラは悲しげに目を伏せた。 「ごめんなさい。私があなたの燈に対する感情を奪えって言ったの。そうでもしなかったらあなたが死んでしまったから―」 「…いいんだ。それは仕方のない事だった」 命の一つの感情どちらかを取れと言われたら、命を取るだろう。もしかしたらその時の自分は一つの感情を護ろうとしただろうが、きっとアカリがそれを許さなかったはずだ。 「…ウィル。あなたは、クレイスのようになって欲しくないの。幸せになって欲しいのよ」 「…母さんもきっとそう思ってくれただろうな」 ウィルがそう言うと、セイラは瞳を潤ませた。そしてウィルの頬にそっと身を寄せた。クレイスの命から再度生まれたセイラは、彼女が遺したウィルを子供のように思っていた。 「ウィル。あなたが14年前に心を奪われ、2年前に新たな感情を生み出した。…あなたなら、きっと奇跡を起こせるはず」 『ウィルなら出来る!』 誰かの声が脳に反響した。セイラの言葉に、脳裏で聞こえた声に、ウィルの気持ちが少し軽くなる。きっと自分なら、アカリの事を思い出せるかもしれない。そんな希望が湧いてきた。 「…ああ、燈もそう言ってくれたような気がする…」 「ウィル、DREAM MAKERに行ってみて。もしかしたら何か思い出すかもしれない」 「…でも、築野に来るなと止められている」 「いいのよ、そんなの。あそこの世界には燈もいる。きっと思い出せるわ―」 セイラにそう言われ、ウィルは苦笑しながらも頷いた。 セイラと話をした翌日。ウィルは築野に内緒でDREAM MAKERへと足を踏み入れた。応接室だと誰かが来てしまうと思ったので、小さな会議室へと扉を繋げた。そこから見る景色が好きだったという事もある。ミレジカでは有り得ない高層ビルが立ち並び、車が行きかう景色を見つめるのが、ウィルは好きだった。 築野に来るなと言われてからここの景色を見ていなかったので、随分懐かしい。ミレジカはほとんど変わらないが、こちらの世界は徐々に形を変えていく。目まぐるしい世界だ。 来たのはいいが、ウィルの存在は重役しか知らない。ここを出て誰かに会ってしまったら大騒ぎになってしまうかもしれない。ミレジカでは普通だが、灰色のフードを纏ったウィルは不審人物に見られてしまうらしい。 どうしようか、と会議室の簡易的な机に目を向けた時だった。 「!」 見覚えのある本が目に入り、ウィルの表情は驚きに染まる。机の上にあったのは蒼い本だった。燈が持っていた、誰かの物語を見せる本。-そして、クレイスが小さなウィルに読んで聞かせてくれた大切な本。 ウィルは引き寄せられるようにその本に近付いた。彼が目の前に立ったと同時に、本は勝手に開き、頁をパラパラと捲っていく。それを目の当たりにしながら、ウィルは妙な高揚感を覚えていた。燈を導いた蒼い本は、一体自分を何処へ導いてくれるのか。 本はとある頁のところでピタリと動くのを止めた。ウィルは物語が紡がれた頁を見つめた。 『ビジネス トリップ ファンタジー この物語は、燈が出張と題してミレジカの世界へ行く話。 魔法使いのウィルや、様々な人々に支えられ、翻弄されながらも強く立ち向かっていく燈の物語。 その姿に心を打たれたのは、一体何人いただろう。 ウィル、きっとあなたもその中の一人。 戸惑う燈に、あなたは七色の花を差し出した。 ライジルに怖がる燈を安心させようと二人の仲を取り持った 初めての依頼で、一緒に牛の獣人を救った。 その時の冷たいあなたを見ても、燈はあなたの側から離れなかった オロロンを探す旅もした 燈達とレイアスの城へ行った。 魔女の憎しみでいっぱいだったあなたに、一筋の道筋を示してくれた 華やかなパレードを皆で見た。 女王の悲痛な願いに、燈は助けると意気込んでいた 燈がセイラに連れていかれそうになった時、すぐに助けに行った。 二人でセイラを探しに行った。 そして、クレイスを殺そうとするウィルを止めようと、燈は奮闘した。 彼女はクレイスから、私から、ウィルの感情を奪い返した。 そして、それだけでなく、燈は私まで救い出した。 ウィル、あなたは燈の事を思い出しているわ。 あなたは私の大切な子。 どうか、あなたは幸せになって―』 「……母さん?」 ウィルがそう尋ねたのと同時に、蒼い本は勝手に頁を閉じ、そして煙のように消えてしまった。途端に、ウィルの瞳から涙が一筋零れ落ちる。 クレイスが消えた時も、自分は泣いた。そしてその側にいたのは。 もやがかかっていた記憶が、少しずつ鮮明になっていく。いつも側にいたのは、少しだけ引っ込み思案の、けれど強い意志を持った女性。 「燈…」 思い出した。彼女は一か月という短い期間の中、隣で笑顔を見せてくれたかけがえのない人だ。失ったはずの燈の記憶と、感情が一気に押し寄せる。 失っていた燈との思い出が走馬灯のように過り、ウィルは泣きそうになる。どうしてこんな大切な事を忘れていたのだろう。自分にとって大切なものなのに。燈への想いを奪われていたとはいえ、思い出すのにこんな時間がかかった自分を呪った。 そしてそれと同時に、会議室の扉が開いた。突然の出来事に、ウィルは魔法を使う余裕も無く机の影に隠れる。燈への想いを思い出した感動に浸っている場合ではない。DREAM MAKERの社員に見つかったら築野に大目玉を食らってしまう。最悪、ミレジカとの取引を中断されてしまうかもしれない。それは出来ない、とウィルは自分を透明にする魔法をかけようとした時だった。 「部長…は、まだいないか」 今、聞きたくてたまらなかった声が聞こえて、ウィルは息を飲んだ。恐る恐る机の隙間から覗き込んでみると、そこにいたのは肩まで髪が伸びていたが、燈の姿があった。 初めて会った時と同じだった。燈は眩しそうに室内へ入って来て、ブラインドを下げようとするのだ。 ウィルは喜びで心を震わせながらも、ゆっくりと身を起こす。二年ぶりに会う燈は髪の長さは変わっていても、少しも変わっていない。その後ろ姿を抱きしめたい衝動に駆られるが、我慢する。 失った時間を、これから埋めていこう。その意味を込めて、この会議室で燈へ初めて掛けた言葉を言おう。 そして、ウィルはブラインドを下げようとした燈にこう言った。 「あ、待ってくれ。それを降ろさないでくれないか」 ―終―
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