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「もう、帰らないと」
男は言った。ここへ留まりたいと心の隅で思う自分に逃げ場所を無くすかのように力強く。そんな男にすがるのは一人の女。その目は泣き腫らした後のようで真っ赤だった。
「ねぇ、あなたの世界を捨てて私と共に暮らしましょうよ…! 私はあなたと離れなくない…!」
「駄目だ。あちらで私を待っている人がいる。俺の帰りを待ち望んでいる人達が……」
男は頑なに首を振った。
「嫌よ…! だってあなた、ここに戻るつもりはないんでしょう? 私、あなたのいない暮らしなんて想像できない!」
「分かってくれ。私だって身を引き裂かれる思いなんだ…。君とは離れたくない。…でも、私は君と同じくらい、今の仕事が大切なんだ。前にも話しただろう?ここで得た知識を使って、私の世界に夢を……」
「いや! 聞きたくない!」
女は目を瞑り耳を塞ぎ、その拍子に涙が一滴零れた。その雫を指ですくい、男は優しく言う。
「大丈夫だ。私はきっと戻ってくる。俺の夢が叶った時、君を迎えに来るよ」
「……本当?」
男は大きく頷いてみせた。
「本当だ。いつになるか分からない…。もしかしたらずっと先の話かもしれない。それまで、待っていてくれるか……?」
女はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「約束よ? 嘘ついたら、あなたの事を毎日恨んで呪いをかけてやるんだから」
「はは、君が言うと本当みたいで怖いよ」
男は女の手を取ると、彼女の小指を自分のそれを絡ませた。
「約束する。私は君を絶対に迎えに行く」
「…私も約束する。あなたが迎えに来るまで、私はずっと待っているわ……」
そう言って二人は笑い合った……
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