7人が本棚に入れています
本棚に追加
「私、境さんとじっくり話してみます」祐市が車を駅の雑踏から少し離れた路上に止めると、麻由香がすぐに言って来た「こんな事を相談するなんて、どうかしてたわ。ごめんなさい」
祐市は、謝る事はないと優しく応えた後「本当にここでいいのかい?」と少し寂しげに訊いた
「大丈夫、一人になって考えたいから」そう言うと麻由香は事も無げに車から降りた。
その流れる様な身のこなしからは寸分の迷いも窺えない。
「連絡は私の方からします」歩道から車の窓越しに麻由香は言った「それまで待ってて」
祐市がその言葉の意味を考えているうちに、麻由香は背を向けて歩き始めた。
「まゆ…」慌てて呼び止めようとしたのだが、乾いた声が喉の奥の方に引っ掛かって出て来ない。
苦し紛れに唾を飲み込んでいる時、何故か麻由香が立ち止まって振り返った。
祐市と目が合うと、事態を察したのか面白そうに笑っている。
そして、その笑顔のまま右手を腰の横で小さく振って口を「バイバイ」と動かした。
幻でも見ていたのだろうか、おどけた仕草にはじける様な笑顔、出逢った頃の麻由香が手を振って来る。
そして茫然とする祐市を置いて、その麻由香は人込みの中へと消えて行った。
すり減って行く消しゴムの様に、記憶が全体的に均等に消えて行けば、人はこれ程までに感傷的になる事もないのではなかろうか?
疾うに消えたはずの初々しい麻由香が記憶の底から甦る。
過ぎ去った日々があの頃の情感を従えて目の前に浮かんでは消えてゆく。
記憶の中で麻由香が笑う。
そしてその時、祐市の胸がチクリと疼いた…
「思い出」とは常に何処か切ないものなのだ。
最初のコメントを投稿しよう!