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「それで何か思い出した事はあるの?」母は少し強引に聞いて来た「具体的な出来事とか、何か?」
イェリスは、それはまだないのだが、何かを思い出すかも知れない、と応えた
足下から心地良い海風が吹き上げて来る。
イェリスはそっと母の顔を見た
彼女は黙って前を向いたままでいる。
「上手く説明できないんだけど…」と更にイェリスが付け加えて言うと、母に穏やかな笑顔が戻って来た。
「私には、ちょっと前の事でも、あなたにとっては大昔だものね」母の口調は優しかった。
「おかあさん、マリベスの手紙は何処から届いたの?」イェリスは気になっていた事を聞いてみた「今、マリベスは何処で何をしてるの?」
母親はイェリスのその問い掛けには応えようとせず、五歩六歩と前へ進み、その視線を遥か前方の街の遠景から、足下を大河の様にゆっくりと流れて行く海峡へと移した。
母の長い髪が下の方から吹き上げて来る風に煽られて空に向かってなびく。
白い肌に灰色の瞳と髪、この容姿故に、若い頃は言語も宗教も異なる他国の民族と間違えられる事も珍しくなかった母であるが、今も尚、その美しさに翳りはなかった。
それは無論、民族的な差異などではなく、イェリスの母が持つ固有の美しさである事は言うまでもなかろう。
母はその視線を海峡の右から左へと流す様に移して行った。
左手遠方には橋が見える
母の視線がちょうどその辺りで止まる
イェリスは、今の母親とのやり取りを悔やんだ。
訊けば教えてくれると思った自分が馬鹿だった
しかし、いつも自らマリベスの話をしてくるくせに、こちらからの質問には一切応えようとしないのは何故だろうか?
まるでマリベスの事を話したがってる母と、マリベスの事を避けようとする母の2人居るみたいだとイェリスは思った。
この時の母の様子をよく考えれば、普通ではないと気づいた筈だと、イェリスは後悔するのだが、それは随分先の事である。
ふと見ると母はいつの間にか裏口の手前に立っていた。
そして
「寒いから中に入りましょう」そう言うと裏口の方へと踵を返した。
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