第1話 眠りの迷宮

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以前、深夜にこの窓から外を見ている母に出くわした時、イェリスはその妖艶さに思わず固唾を飲み、見てはならないものを見たかの様に、そっと静かに部屋へと戻ったのを覚えているが、今回の緊迫感は、その時を遥かに凌駕する。 この夜の母は妖艶と言うよりも異様だった。 前回が、偶然にも母の秘密を覗き見てしまってごめんなさい、と言う程度の思いだったとすれば、今回は、全く次元が違う。 月明かりの下、外海からの強い風を受けて母の長い髪が左から右へとなびいている。 同様にシルクの寝衣が、母の体の左半分に貼り付く様に密着して、そのラインをあらわにしている。 余分なものの一切付いていないその体は、紛れもなく美しいのであるが、より完璧であるが故に非人間的で冷たいものにも思われた。 その様な母の後ろ姿に、鬼気迫るものを感じたイェリスは明らかに恐れ戦いていた。 窓の陰に隠れながら、正に今、母が裏口からこのキッチンへ入って来るかも知れないと思うと、恐怖で全身が竦んだ。 そして、あられもない恐怖は得てして次々と疑念を生んで行く。 果たしてそこに立っているのは本当に母なのだろうか? 振り向いたその顔は、母のものに間違いないのだろうか!? 疑念は妄想を生み、妄想は新たな恐怖を生んで行く。 翌朝になると、母は何事もなかったかの様な素振りで仕事の準備をしている。 この様子からも、昨夜の出来事は特別ではないと言う事が窺える。 しかし、何のために母があの時間に外に出ていたのか、イェリスには皆目分からないままであった。
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