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イェリスが隣に並んでも母は全く気づかない。
更に上半身を近付けて声をかけても全く反応しない。
まるで別の世界にいるような、そんな違和感が母と母の周りを取り囲む空間に漂っている。
何ものも寄せ付けようとしない見えない壁がそこにあった。
イェリスの胸が疼く。
ララ、ララ、私のせいで…
既に日は沈んでいた。
ララはそれでも欄干に両肘をついたまま、身を乗り出す様にして西の空を見ている。
その視線の遥か先では、日の残光の中、水平線が朧気に滲んで正に消えようとしていた。
海風が顔を被うララの長い髪を後ろへとなびかせる。
しかし、黄昏に包まれたララの横顔から表情を読み取ることは出来ない。
ララとイェリスがたたずむすぐ脇を、無数の人の列が通り過ぎてゆく。
しかし、それは最早意味を持たず単なる映像の連なりに過ぎなかった。
イェリスはその無数に行き交う人々の頭越しに新市街へ目を遣った。
そこには近代的な背の高いビルがいくつも建ち並んでいる。
その中には外国資本のホテルも多く含まれており、主に海外からの観光客をターゲットにしのぎを削っている。
その時、イェリスの記憶の片隅を何かが駆け抜けた。
しかし具体的には思い出す記憶の断片すらなく、イェリス自身それが何を意味するものなのか皆目見当もつかないでいた。
それほど新市街とイェリスには日常の生活に於いて接点らしい接点がなかった。
逆に反対方向の旧市街に目を転じると、その雑然とした光景に何故か彼女の心は落ち着きを覚えた。
市場に広場、露店に小さな様々な店、土産物屋、世界中からの観光客、そして人また人、熱気が白い湯気となって立ち上るのが目で見える。
無数の人間がそれぞれの方向を勝手に目指す事によって生まれる混濁、しかしより大きな視野を持って見れば、街がこの混濁を内包仕切れている限りに於いて、その一つ一つは蠢く細胞であり、また次々と生まれる生命である。
つまり、それらは正に街の息吹きそのものでなのである。
そこに旧市街の持つ逞しさの原点があった。
そして、その雑然とした情景を前にイェリスは違和感を持つ事なく溶け込んで行けると確信していた。
それは他ならぬ、彼女自身が嘗てその蠢く細胞の一つであった事を意味していた。
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