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「本当に先生の作った歌だったんだ…私…お礼が言いたかった。
お母さんは助けてくれたけど、優しくしてくれたけど、それは自分の罪悪感を和らげるためだって、分ってたんだ。
ただ、もうお母さんは、私を生むんじゃ無かったって言えないねって、皮肉に考えてた。
あの歌を聴いて、生きてていいんだって、本当に思えたんだよ。
情けなくて、醜くて、ダメな自分でもそれが人間だから愛しいって。
あのメロディとあの声で唄われたら、それこそ真実だ、って思えた。
だから、今私は生きてて、ここに居るんだよ。
あの歌は、本当に先生が作ったんだね、なんかまだ分裂してたかも。」
そう言って半泣きで笑う橘の頭をトンと自分の胸に寄り掛からせる。
そうして置いて、橘の自殺未遂の原因について考えていた。
若さは時に残酷な程の潔癖さを見せるが、自分自身に向けられた時の苦痛は確かに『死』を思わずにはいられないかもしれない。
しかし、ただ思うのと、実行することの間には途轍もなく大きな差がある。
その差を生じさせたものを『指導要録』の『私見』欄は教えてくれていた。
大概の子供は親から当たり前に受け取るもの。
『自己肯定感』の欠落。
私見の中でも、彼女の母親自身が精神的に不安定で、家庭に問題があった可能性に触れている。
それは娘の自殺未遂を驚いた母親が、学校でのいじめの所為に違い無いと、学校側の責任を問い正した経緯が関連している。
橘に対するいじめの程度は誰が見ても、からかいや、おふざけ、遊びの範疇を出ないものだったらしいが、彼女の心を傷つけた事は確かだ。
しかし、子供にとって絶対的存在である母親から受けた、あの言葉の及ぼした影響が何より大きかった。
どんどん彼女の心を蝕んでいったのだろう。
今でも夢に見てうなされる程の心の傷、残念ながら俺の唄はその傷を癒す程の力は無かった。
そんなの当然だ、たかが歌だ。ほんのちょっと気持ちの持ちようを変えてくれるだけだ。
ただ、今ここに彼女が生きているのが、俺の唄のお陰だと言うなら、少しは褒めてやろう、あの唄を作った自分を。
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